木間瀬策三とは? わかりやすく解説

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木間瀬策三

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/09 06:06 UTC 版)

木間瀬策三

木間瀬 策三(きませ さくぞう、1876年明治9年〉9月9日[1] - 1956年昭和31年〉12月10日[2][3])は、明治末から昭和期の内務官僚実業家。官選富山県知事

経歴

千葉県出身。従五位勲五等官吏[3]木間瀬柔三の五男として生まれる。富山中学校で中学1年に在学[1]第一高等学校を卒業[4]1900年(明治33年)東京帝国大学法科大学政治学科を卒業。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。内務省に入省し宗教局属となる[1][4]

以後、三重県事務官愛知県事務官、千葉県事務官・第二部長[5]茨城県事務官・第四部長、同県事務官・警察部長、同県事務官・内務部長、新潟県内務部長、大阪府内務部長などを歴任[1][6]

1915年(大正4年)8月12日、富山県知事に就任[7]。人望があつく、御大典行事の実施、熊野川井田川神通川水害復旧事業を推進[1]1917年(大正6年)1月29日、知事を休職[8]。同年11月3日、依願免本官となり退官した[9]

その後、実業界に転じ、安治川土地常務、山陽中央水電監査役、甲子園ホテル取締役、北辰協会取締役、日本活性白土社長などを歴任[1][6]。また、懐徳堂記念会常務理事を務めた[1]

親族

脚注

  1. ^ a b c d e f g 『新編日本の歴代知事』429頁。
  2. ^ 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、175頁。
  3. ^ a b 護国寺の墓誌。
  4. ^ a b 『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』180頁。
  5. ^ 『官報』第6925号、明治39年7月30日。
  6. ^ a b 『人事興信録 第14版 上』キ15頁。
  7. ^ 『官報』第910号、大正4年8月13日。
  8. ^ 『官報』第1346号、大正6年1月30日。
  9. ^ 『官報』第1578号、大正6年11月5日。
  10. ^ 木間瀬策三『人事興信録. 10版(昭和9年) 上卷』
  11. ^ 赤星四郎『人事興信録. 10版(昭和9年) 上卷』

参考文献

  • 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
  • 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。
  • 人事興信所編『人事興信録 第14版 上』人事興信所、1943年。





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