石丸敬次とは? わかりやすく解説

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石丸敬次

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/26 04:24 UTC 版)

石丸敬次

石丸 敬次(いしまる けいじ、1896年明治29年〉10月30日[1] - 1980年昭和55年〉3月27日[2])は、日本の内務官僚国会職員。官選第34代富山県知事

経歴

福岡県出身[1]1916年3月、小倉師範学校本科第一部を卒業し、福岡県遠賀郡内平小学校訓導、小倉師範学校訓導、東京市小石川高等小学校訓導を歴任。1925年3月、日本大学法文学部政治学科英語部を卒業。愛媛県吉田町立吉田中学校教諭となる[3]。同年11月、文官高等試験行政科試験に合格。1926年内務省に入省し長崎県属となる[4]

以後、長崎県学務部社会課長、沖縄県課長、長野県農商課長、大阪府地方課長、同議事課長、文部省普通学務局庶務課長、同国民教育局中等教育課長、岐阜県経済部長、宮崎県警察部長、同内政部長、内閣参事官などを経て、東北地方行政事務局長となる[1]

1946年7月、富山県知事に就任。1947年2月、厚生省保険局長に転じ、さらに参議院文部委員会専門員を務めた[1]

その後、私立学校振興会理事長、社会教育協会理事、福岡大学理事、学研書籍社長、学習研究社相談役などを歴任した[1][2]

著作

  • 『いのちともに』学研書籍、1965年。

脚注

  1. ^ a b c d e 『新編日本の歴代知事』438頁。
  2. ^ a b 『現代物故者事典 1980~1982』25頁。
  3. ^ 「石丸敬次ヲ長崎県視学ニ任用シ初任判任官俸給制限外支給ノ件」
  4. ^ 『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』251頁。

参考文献

  • 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
  • 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。
  • 『現代物故者事典 1980~1982』日外アソシエーツ株式会社、1983年。
  • 内閣「石丸敬次ヲ長崎県視学ニ任用シ初任判任官俸給制限外支給ノ件」大正15年。国立公文書館 請求番号:本館-2A-014-00・纂01754100



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