田中啓一 (国会議員)とは? わかりやすく解説

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田中啓一 (国会議員)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/29 21:40 UTC 版)

田中 啓一(たなか けいいち、1896年明治29年)1月8日1977年昭和52年)6月10日)は、日本農林官僚政治家富山県知事衆議院議員(1期)、参議院議員(2期)。

経歴

岐阜県出身。田中喜三郎の長男として生まれる。東京高等師範学校を経て、1925年京都帝国大学経済学部を卒業。1924年11月、高等試験行政科試験に合格。大学卒業後、京都師範学校教諭を経て農商務省に入省し農務局属となる。

以後、農林事務官東京競馬倶楽部書記長兼理事、日本競馬会理事、農林省山林局木炭第一課長、農林大臣秘書官、米穀管理局第一部長、食品局長、九州地方行政協議会参事官九州地方総監府第二部長などを歴任。戦後、1946年1月、富山県知事に就任し、同年7月まで在任。その後、岐阜県副知事を務めた。

1949年1月の第24回衆議院議員総選挙岐阜県第1区民主自由党から出馬し当選。自由党政務調査会副会長となる。1952年10月の第25回総選挙では落選し、衆議院議員を1期務めた。

1953年4月の第3回参議院議員通常選挙岐阜県選挙区自由党から出馬し当選。1959年6月の第5回通常選挙でも当選し、参議院議員を2期務めた。1965年7月の第7回通常選挙には出馬せず引退。

参議院議員として、第2次池田第2次改造内閣文部政務次官参議院地方行政委員長、自由民主党農林漁業基本政策調査会副会長、参議院自民党政策審議会副会長などを歴任した。

1966年春の叙勲で勲二等瑞宝章受章(勲四等からの昇叙)[1]

1977年6月10日死去、81歳。死没日をもって正四位から従三位に叙される[2]

脚注

  1. ^ 『官報』号外第48号2頁 昭和41年4月30日号
  2. ^ 『官報』第15129号16-17頁 昭和52年6月17日号

参考文献

  • 歴代知事編纂会編『新編日本の歴代知事』歴代知事編纂会、1991年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 秦郁彦編『日本官僚制総合事典:1868 - 2000』東京大学出版会、2001年。
議会
先代
小林武治
参議院地方行政委員長
1958年 - 1959年
次代
館哲二
官職
先代
吉武恵市
富山県知事
官選第33代:1946年
次代
石丸敬次



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