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田中啓二

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/30 10:02 UTC 版)

たなか けいじ
田中 啓二
文化功労者顕彰に際して公表された肖像写真
生誕 (1949-04-10) 1949年4月10日
日本徳島県徳島市
死没 (2024-07-23) 2024年7月23日(75歳没)
日本東京都
国籍 日本
研究分野 徳島大学大学院栄養学研究科
研究機関 ハーバード大学医学部
東京都医学総合研究所
主な受賞歴 日本学士院賞
文化功労者
など(栄典・受賞の項も参照)
プロジェクト:人物伝
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田中 啓二(たなか けいじ、1949年4月10日 - 2024年7月23日)は、日本生物学者。東京都医学総合研究所理事長所長

ハーバード大学アルフレッド・L・ゴールドバーグ英語版とともにプロテアソームを発見した。徳島大学助教授・東京大学教授などを歴任。日本学士院賞等を受賞。文化功労者選出。

人物・経歴

徳島県徳島市[1]に、元職業軍人の子として生まれる。1968年徳島県立城北高等学校卒業[2]。1972年徳島大学医学部栄養学科卒業。市原明に師事し、1974年徳島大学大学院栄養学研究科修士課程修了。1976年徳島大学大学院医学研究科博士課程中退、徳島大学酵素研究施設助手。1980年徳島大学より医学博士の学位を取得。1981年から1983年までハーバード大学医学部生理学部門に研究員として留学[2][3][4]

1995年徳島大学酵素科学研究センター助教授に昇格。1996年東京都臨床医学総合研究所分子腫瘍学研究部門部長。1998年東京大学大学院新領域創成科学研究科連携講座教授。2002年東京都医学研究機構東京都臨床医学総合研究所副所長。2006年東京都医学研究機構東京都臨床医学総合研究所所長代行。2011年東京都医学総合研究理事長兼所長、日本学術会議会員[2][3][5]。この間、東京医科歯科大学客員教授お茶の水女子大学客員教授、順天堂大学客員教授、新潟大学客員教授[6]、徳島大学客員教授などを歴任した[7]

2024年7月23日午前、虚血性心疾患のため東京都内の自宅で死去。75歳没[8][9]

受賞・栄典

脚注




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