松井春生とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 松井春生の意味・解説 

松井春生

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/09 06:34 UTC 版)

日本の政治家
松井 春生
まつい はるお
資源局長官時代
生年月日 (1891-05-12) 1891年5月12日
出生地 三重県
没年月日 (1966-10-01) 1966年10月1日(75歳没)
出身校 東京帝国大学
前職 大阪府知事
称号 従三位勲一等瑞宝章
配偶者  花(波多野承五郎次女)[1]

選挙区 勅選議員
在任期間 1946年3月22日 - 1946年7月30日
テンプレートを表示

松井 春生(まつい はるお、1891年明治24年)5月12日 - 1966年(昭和41年)10月1日)は、貴族院議員などを務めた内務官僚

来歴

1916年大正5年)に東京帝国大学法科大学政治科を卒業して、高等文官試験に合格し、内務省に入る。東京府属を務めた[2]

1918年(大正7年)から千葉県理事官視学官を務め、その後法制局参事官資源局書記官兼法制局参事官、資源局総務部兼企画課長、内閣調査官兼内閣東北振興事務局長、資源局長官を歴任した。

1938年(昭和13年)10月に退官し、日本商工会議所理事東京商工会議所理事、工業組合中央会副会長、全日本絹織物工業組合連合会理事長を務める。

太平洋戦争後の1946年(昭和21年)1月25日から同年6月8日まで、大阪府知事に就任した。在任中の3月22日貴族院勅選議員となる[3]。このとき、正四位勲二等。6月8日からは東京都長官に転じて7月23日まで務めた。退任一週間後の7月30日に貴族院議員を辞職した。

1952年(昭和27年)、江東区有明の都有地に造成された東雲ゴルフ場の理事長となる。

1960年(昭和35年)に株式会社鉄道会館代表取締役に就任した。

1965年(昭和40年)11月8日勲一等瑞宝章を受章する。

1966年(昭和41年)10月1日に死去。没後の10月4日 に特旨を以て位一級追陞し、従三位となった。

著書

脚注

  1. ^ 波多野承五郞『人事興信録』第8版
  2. ^ 『日本官僚制総合事典』東京大学出版会、2001年11月発行、215頁
  3. ^ 『官報』第5757号、昭和21年3月26日。

関連項目

参考文献

  • 東京都公文書館編『東京都職制沿革』東京都情報連絡室情報公開部都民情報課、1986年



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「松井春生」の関連用語

松井春生のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



松井春生のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの松井春生 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS