資源局
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/09 07:45 UTC 版)
資源局(しげんきょく)は、1927年(昭和2年)、日本の内閣の外局として設置された国家総動員準備機関である。第一次世界大戦以後、大日本帝国陸軍が調査・研究してきた国家総動員思想を制度的に保障した機関として、資源局の設置は重要な意味を持っている[1]。
設置
1922年(大正11年)10月30日に、勅令第四六一号により国勢院が廃止された[2]後の数年間は、国家総動員体制を統括するための中心的組織は作られなかったが、1926年(昭和元年)になると帝国議会では国防論議が高まりを見せた[3]。
そこで、同年4月22日に日本政府は「国家総動員機関設置準備委員会ニ関スル件」を閣議決定し、機関設置の検討に入った[3]。
そして、国家総動員機関設置準備委員会での議論の結果、資源局[4]が、資源局官制(昭和2年5月27日勅令第139号)により、1927年(昭和2年)5月27日に設置された[1]。
資源局は、内閣総理大臣管理下の事務・諮詢機関である[1]。その役目は、総動員資源の統制・運用を準備することだった[1]。
構成
管理は内閣総理大臣が行い、総務課、調査課、施設課、企画課から構成された[1]。 このうち、総務課は、人事・文書・会計・資源の統制運用に関する制度・施設の研究、それに必要な法令の準備・立案を管掌した[1]。 調査課は、資源の現況調査、戦時需給の調査を担当した[1]。 施設課は資源の培養助長・統制運用計画の遂行達成を目的とした平時施設の設置を管掌し、企画課は統制運用機関の整備計画、資源の補填、配当その他の統制運用の計画策定を管掌した[1]。
資源局の設置に伴い、同年7月18日には資源審議会が設置された[5]。資源審議会は、資源局の関連業務に関する内閣諮問機関である[5]。総裁(首相)、副総裁、委員、臨時委員(いずれも首相の奏請で内閣により任命)により構成され(資源審議会官制第3条)、幹事長(資源局長官と兼任)と幹事(首相の奏請で内閣により任命)が置かれ審議会の庶務を行った。(資源審議会官制第5条)[5]。資源審議会は軍需評議会と異なり、著しく権限の強化された組織である[5]。
主な実施項目
資源局は資源調査法の制定(法律第53号、1929年(昭和4年)4月12日公布)、総動員計画設定処務要綱の策定(同年6月18日閣議決定)などを実施[6]、この要綱に基づいて、総動員基本計画綱領、暫定期間計画設定処務規程、暫定期間計画設定ニ関スル方針、暫定期間計画設定ニ関スル指示事項を作成し、総動員計画への本格的な準備が始まった[7]。
統合
内閣資源局は、支那事変勃発後の1937年(昭和12年)10月25日に企画庁と統合して、企画院へ改組された[8]。
歴代長官
- 宇佐美勝夫:1927年(昭和2年)5月27日 - [9][10]
- (扱)堀切善次郎:1933年(昭和8年)1月19日 -
- 川久保修吉:1933年(昭和8年)9月19日 -
- 松井春生:1936年(昭和11年)4月24日 - 1937年(昭和12年)10月23日
関連項目
出典
参考文献
- 史料
- 貴族院「資源調査法案特別委員会 第1号」『第56回帝国議会帝国議会会議録』、帝国議会会議録検索システム、1929年2月20日。「(宇佐美勝夫資源局長官)一般方針の中、当面の必要に応じまする対策等は別にここで申しませぬが、調査の根本方針と致しましては、各庁の必要と致しまする各種の調査との関係を考究いたしまして、十二分に是と連絡調和を図り、その調査の結果が 資源統制運用計画、すなわち総動員計画の基礎資料として完全なることを期しまする」
- 衆議院「予算委員第一分科(外務省、司法省及大東亜省所管)第2号」『第81回帝国議会帝国議会会議録』、帝国議会会議録検索システム、1943年2月10日。「(青木一男大東亜大臣)大東亜地域内の外政処理に遺憾なきを期しまするため、各種外政工作に要する経費を計上いたしたのでありまするが、なおこの経費中にはバタンボン領事館の新設及びデリー領事館の昇格維持に要する経費をも含み、また、在支居留民の増加に伴いまして、これが取締保護のために在支司法検察並びに在支領事館警察の拡充に要する経費をも計上せられております」
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