野村靖 のむら やすし
山口生まれ。官僚、政治家。父は萩藩士。安政4年(1857)、松下村塾に入門。尊皇攘夷運動に加わり、英国公使館焼討事件に連座。第2次長州征討への抗戦で活躍。明治4年(1871)宮内権大丞として新政府に出仕。岩倉遣外使節団に随行。以後累進して神奈川県令、駅逓総監、逓信次官を歴任。20年(1887)子爵。翌年枢密顧問官となる。24年(1891)駐仏公使。帰国後、第2次伊藤内閣内相、第2次松方内閣逓相を歴任した。
キーワード | 官僚, 政治家 |
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- 著作等(近代デジタルライブラリー収載)
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- 孛国地方自治行政説略 / 野村靖著 逓信省, 明19.6 <YDM29135>
- 国家論略・独逸帝国憲法要論・孛国憲法要論 / 野村靖著 逓信省, 〔明20〕 <YDM31566>
- 国家論略 / 野村靖著 益森英亮, 1889 <YDM31567>
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野村靖
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野村 靖(のむら やすし、天保13年8月6日(1842年9月10日) - 明治42年(1909年)1月24日)は、明治時代の日本の政治家[1]。子爵。名は和作、靖之助とも。号を欲庵、香夢庵主。官位は正二位。山口県萩市萩往還公園に天野清三郎と並んだ銅像が立っている。
- ^ デジタル版 日本人名大辞典+Plus「野村靖」
- ^ 新聞集成明治編年史. 第十四卷 p.20
- ^ 『官報』第907号「叙任及辞令」1886年7月10日。
- ^ 『官報』第994号「叙任及辞令」1886年10月21日。
- ^ 『官報』第3695号「叙任及辞令」1895年10月22日。
- ^ 『官報』第1156号「叙任及辞令」1887年5月10日。
- ^ 『官報』第1324号「叙任及辞令」1887年11月26日。
- ^ 『官報』第1928号「叙任及辞令」1889年11月30日。
- ^ 『官報』第5393号「叙任及辞令」1895年6月22日。
- ^ 『官報』第7194号「叙任及辞令」1907年6月24日。
- ^ 『官報』第1005号「官庁事項・辞令」1886年11月4日。
- ^ a b 『中勘助の恋』富岡多恵子、 創元社 (1993/11)、p262
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