井上正巳とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 井上正巳の意味・解説 

井上正巳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/01 09:09 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
井上正巳

井上 正巳(いのうえ まさおと、安政3年1月5日1856年2月10日) - 大正10年(1921年9月14日)は、常陸下妻藩の第14代(最後)の藩主、子爵。第13代藩主・井上正兼の次男。母は飯田氏。妻は戸田忠綱の娘。子は井上正国(長男)、井上正義(次男)、横田正頼(三男)、平田甫(四男)、娘(飯田某室)、娘(西尾勝順正室)。官位は従五位下、伊予守。幼名は辰次郎、辰若丸。

経歴

次男だったが、兄の孝丸が病弱を理由に廃嫡されたため、世子となる。そして慶応2年(1866年)11月23日の父の隠居により跡を継いだ。慶応4年(1868年)の戊辰戦争では、はじめは幕府側に与して江戸城清水門の警備を務めた。後に新政府側に寝返ろうとしたが、旧幕府からの圧力を受け、一部の藩士が会津藩との戦いで会津側に与した。新政府からそれを咎められ、改易に処されかけたが、家老が懸命に弁明し、さらに佐幕派であった今村昇らを殺害したため、改易を免れた。

明治元年(1868年)11月25日、叙任する。明治2年(1869年)6月の版籍奉還知藩事となり、明治4年(1871年)7月の廃藩置県で免官された。1884年(明治17年)7月8日、子爵を叙爵した[1]。大正10年(1921年)9月14日、66歳で死去した。墓所は東京都台東区谷中霊園

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ 『官報』第308号、明治17年7月9日。
日本の爵位
先代:
叙爵
子爵
下妻井上家初代
1884年 - 1921年
次代:
井上正国



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「井上正巳」の関連用語

井上正巳のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



井上正巳のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの井上正巳 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS