竹腰友正とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 竹腰友正の意味・解説 

竹腰友正

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/25 09:53 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

竹腰 友正(たけのこし ともまさ、延宝元年(1673年) - 宝永3年4月19日1706年5月30日))は、尾張藩附家老美濃国今尾藩の第3代当主。官位は従五位下、筑後守。2代当主・竹腰正晴の長男。

延宝5年(1677年)1月19日、父・正晴が死去したため、同年2月10日に5歳で跡を継いだ。正晴の従兄弟にあたる尾張藩主徳川光友より偏諱を賜って友正と名乗る。元禄2年(1689年)に初めて将軍の徳川綱吉に拝謁、12月に従五位下筑後守に叙任、友正には嗣子がなかったために従弟の正映を養子とした[1]宝永3年(1706年)4月19日に死去し、跡を養子の正映が継いだ。法号は友正院殿賢誉皓哲居士。墓所は愛知県名古屋市の相応寺。

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ 小山譽城『徳川御三家付家老の研究』(清文堂出版、2006年) ISBN 4-7924-0617-X



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「竹腰友正」の関連用語

竹腰友正のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



竹腰友正のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの竹腰友正 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS