竹腰正映とは? わかりやすく解説

竹腰正映

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/25 09:54 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

竹腰 正映(たけのこし まさてる、元禄2年(1689年)- 宝永6年1月18日1709年2月27日))は、尾張藩附家老美濃国今尾藩の第4代当主。初代当主・竹腰正信の三男竹腰正辰の長男。官位は従五位下、山城守

正辰は別家を立てていたが、元禄11年(1698年)に正映を本家友正の養子に出した(代わりに正辰家は石河正武を養子に迎えた)。宝永3年(1706年)4月19日に附家老竹腰家の先代で従兄の友正が死去したため、同年5月25日に正映が3万石の家督を継いだ。9月には将軍の徳川綱吉に初御目見得となり、12月には従五位下山城守に叙任した。[1]

宝永6年(1709年)1月18日に21歳で死去し、跡を養子の正武が継いだ。墓所は東京都港区虎ノ門天徳寺

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ 小山譽城『徳川御三家付家老の研究』(清文堂出版、2006年) ISBN 4-7924-0617-X




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「竹腰正映」の関連用語

竹腰正映のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



竹腰正映のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの竹腰正映 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS