井上正廬とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 井上正廬の意味・解説 

井上正廬

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/07/20 08:35 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
 
井上正廬
時代 江戸時代後期
生誕 寛政4年(1792年
死没 文政2年12月20日1820年2月4日
戒名 高照院峯山日登
墓所 東京都台東区谷中霊園
官位 従五位下内膳正
幕府 江戸幕府
主君 徳川家斉
常陸下妻藩
氏族 深溝松平家井上氏
父母 父:松平忠馮、養父:井上正健
兄弟 正廬松平忠侯京極高景、中西元歴、森川俊民、松平忠篤、真田幸忠、志賀、板倉勝晥室、喜代
養兄弟:井上正誠正室
正室:本多忠顕
養子:正民

井上 正廬(いのうえ まさとも)は、江戸時代後期の大名常陸国下妻藩8代藩主。官位従五位下内膳正

略歴

肥前国島原藩2代藩主・深溝松平忠馮の次男として誕生。

文化13年(1816年)9月14日、先代藩主の正健の隠居により跡を継ぎ、同年12月に叙任する。文政2年(1819年)12月20日、28歳で死去し、跡を養嗣子の正民井上正甫の次男)が継いだ。法号は高照院峯山日登。墓所は東京都台東区谷中霊園




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「井上正廬」の関連用語

井上正廬のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



井上正廬のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの井上正廬 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS