立花長煕とは? わかりやすく解説

立花長煕

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/26 10:56 UTC 版)

 
立花長煕
時代 江戸時代中期
生誕 享保5年7月17日1720年8月20日
死没 安永7年閏7月2日1778年8月23日
改名 弥七郎(幼名)、長煕
戒名 明徹院殿実相紹真大居士
墓所 東京都台東区下谷の広徳寺
官位 従五位下和泉守、民部
幕府 江戸幕府
主君 徳川家重家治
筑後三池藩
氏族 立花氏
父母 立花貫長島津惟久の娘・養信院
兄弟 長煕、黒田直巷、直尹、応興、能勢頼紀婚約者、青山幸充継室、加納久堅正室、立花種秀養女、屋山継平室ら
正室堀直英の娘・於豊
弥七郎、種周、勝次郎、長堅、安部信旨、種武堀直皓三宅康武正室ら
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立花 長煕(たちばな ながひろ)は、筑後国三池藩の第5代藩主

略歴

享保5年(1720年)7月17日、第4代藩主・立花貫長の長男として生まれる。延享4年(1747年)、父の死去により家督を継いだ。同年12月19日、従五位下、和泉守に叙任する。

宝暦12年(1762年)9月26日、次男・種周に家督を譲って隠居し、安永7年(1778年)閏7月2日に死去した。享年59。

系譜

父母

正室

子女

  • 立花弥七郎(長男)
  • 立花種周(次男)生母は法明院(正室)
  • 立花長堅(四男)
  • 安部信旨(五男)生母は法明院(正室)
  • 立花種武[1](六男)生母は法明院(正室)
  • 堀直皓[2](七男)生母は法明院(正室)
  • (八男)
  • (九男)
  • 立花勝次郎
  • 三宅康武正室後に宮原義潔

脚注

  1. ^ 立花達好の養子。
  2. ^ 堀直郷の養子。




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