堀直英
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堀直英(ほり なおひで)は、元禄13年(1700年)1月に生まれ、明和4年8月20日(1767年9月12日)に没した江戸時代中期の大名である。信濃国須坂藩の第5代藩主を務め、信濃須坂堀家の5代目当主にあたる。
生涯
直英は越後国村松藩主堀直利の三男として誕生した。正室は須坂藩第4代藩主堀直佑の娘である。正徳2年(1712年)、直佑の養子となり、娘婿として嫡子となる。同年、将軍徳川家宣に御目見している。享保4年(1719年)、養父直佑の隠居に伴い家督を相続し、藩主の座に就いた。
幕府の役職としては、享保10年(1725年)から享保12年(1727年)まで大番頭を務めた。享保20年(1735年)には長男の直寛に家督を譲って隠居した。その後、明和4年(1767年)に67歳で没した。
官位
- 従五位下(じゅごいげ)
- 淡路守(あわじのかみ)
系譜
父母
- 実父:堀直利
- 養父:堀直佑
正室
- 堀直佑の娘
子女
- 堀直寛(長男):生母は正室である。
- 堀直孝(次男):生母は正室である。
- 堀直著(三男):生母は正室である。
- 内藤正方(五男):生母は側室である。
- 娘(立花長煕正室):生母は正室である。
- 娘(安藤直元正室):生母は側室である。
参考文献
- 各種武鑑
- デジタル版 日本人名大辞典+Plus
- 寛政重修諸家譜
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