駐仏公使
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/04 05:51 UTC 版)
「エドワード・リヴィングストン」の記事における「駐仏公使」の解説
リヴィングストンは1833年から1835年まで駐仏公使を務めた。リヴィングストンは1831年に決裂していたフランス政府との条約交渉再開を任された。1833年、リヴィングストンはフランスとの間で、以下の合意を行った。第1に、ベルリンおよびミラノにおいてフランスが行ったアメリカ船舶への略奪行為に対する賠償金として、フランス政府がアメリカ政府に2500万フランを分割で支払うこと。第2に、フランスの主張を一部認め、アメリカ政府がフランス政府に賠償金の一部150万ドルを返還すること。だがフランス下院は、最初の分割払いを拒否し、米仏間に大きな緊張状態が生じた。1835年、リヴィングストンは公使館を閉鎖し、アメリカへ帰国することを命じられた。
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