栃内曽次郎とは? わかりやすく解説

栃内曽次郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/16 17:32 UTC 版)

栃内 とちない 曽次郎 そうじろう
練習艦隊司令官時代
生誕 1866年7月19日慶応2年6月8日
江戸幕府盛岡藩
死没 (1932-07-12) 1932年7月12日(65歳没)
日本岩手県盛岡市
所属組織  大日本帝国海軍
軍歴 1888年 - 1924年
最終階級 海軍大将
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栃内 曽次郎(とちない そうじろう、1866年7月19日慶応2年6月8日)- 1932年昭和7年)7月12日)は、日本海軍軍人。最終階級海軍大将。晩年には貴族院議員を務めた。

経歴

盛岡藩士、栃内理平の二男として岩手県上田村に生まれる。札幌農学校予科、攻玉社を経て、明治19年(1886年)、海軍兵学校を卒業(13期生)した。明治24年(1891年)、海軍大学校(丙号学生)を卒業し、日清戦争では「金剛」分隊長、旅順港水雷敷設隊分隊長、「扶桑」水雷長として従軍した。戦後に水雷術練習所教官となった。明治30年(1897年)に「浅間」回航委員としてイギリスに出張、「浅間」水雷長となり同32年(1899年)に帰国。明治33年(1900年)に海軍省副官海相秘書官として山本権兵衛に仕えた。

日露戦争開戦時には「宮古」艦長を務めていたが「宮古」は機雷により沈没。「武蔵」と仮装巡洋艦「八幡丸」の艦長を経て、日本海海戦には「須磨」艦長として従軍した。戦後には在英大使館付武官としてイギリスに三年半勤務した[1]。明治42年(1909年)に帰国し同年に海軍少将軍務局長となり、練習艦隊司令官、大湊要港部司令官、横須賀海軍工廠長を歴任し、大正3年(1914年)、海軍中将。さらに第2艦隊司令官、第1艦隊司令官、第4戦隊司令官、第3戦隊司令官、技術本部長を歴任し、大正6年(1917年)に海軍次官となった。

大正9年(1920年)、海軍大将を拝命、第1艦隊長官、兼連合艦隊司令長官佐世保鎮守府司令長官、軍事参議官を歴任し、同13年(1924年)に予備役に編入された。その後、ロンドン軍縮条約には反対の立場に属していた。昭和7年(1932年)3月15日に貴族院議員となったが[2]、同年7月8日、盛岡市旧制岩手中学校校長就任に際しての講演中に倒れ、同地で死去した。

人物

  • イギリス駐在中に英国流の生活に傾倒し、私服はもちろんハンカチにいたるまでロンドンの一流ブランドのオーダーメイド品を身につけ、「海軍一のジェントルマン」の賞賛と「イギリスかぶれ」の批判を同時に受けた。
  • 次官時代、人力車に乗っていた際に、自動車と衝突して右目を失明する事故に遭っている。
  • 及川古志郎ほど有名ではないが蔵書家であった。及川が漢籍なのに対して栃内は洋書。英和辞典は一切用いず読みこなした。

栄典

位階
勲章等
受章年 略綬 勲章名 備考
1895年(明治28年)11月18日 勲六等単光旭日章[16]
1895年(明治28年)11月18日 明治二十七八年従軍記章[17]
1901年(明治34年)12月28日 勲四等旭日小綬章[11][18]
1902年(明治35年)5月10日 明治三十三年従軍記章[19]
1905年(明治38年)11月30日 勲三等瑞宝章[20]
1906年(明治39年)4月1日 功四級金鵄勲章
1906年(明治39年)4月1日 旭日中綬章[11]
1906年(明治39年)4月1日 明治三十七八年従軍記章[21]
1912年(明治45年)2月16日 金杯一個[11]
1921年(大正10年)3月23日 金杯一個[11]
1914年(大正3年)11月30日 勲二等瑞宝章[22]
1915年(大正4年)11月7日 勲一等旭日大綬章[23]
1915年(大正4年)11月7日 大正三四年従軍記章[23]
1915年(大正4年)11月10日 大礼記念章[11][24]
1921年(大正10年)7月1日 第一回国勢調査記念章[25]
外国勲章佩用允許
受章年 国籍 略綬 勲章名 備考
1901年(明治34年)4月4日 フランス共和国 レジオンドヌール勲章シュヴァリエ[26]
1906年(明治39年)9月26日 大韓帝国 勲二等八卦章朝鮮語版[27]
1907年(明治40年)7月20日 イギリス帝国 ヴィクトリア第三等勲章[28]
1916年(大正5年)6月12日 イギリス帝国 バス第二等勲章[29]
1918年(大正7年)12月6日 支那共和国 二等大綬宝光嘉禾章[30]
1921年(大正10年)3月11日 アメリカ合衆国 海軍殊勲章英語版[31]
1922年(大正11年)10月9日 イギリス帝国 大英帝国勲章ナイトグランドクロッス[32]

親族

脚注

  1. ^ The Japan Year Book1906, p85
  2. ^ 『官報』第1561号、昭和7年3月16日。
  3. ^ 『官報』第2539号「叙任及辞令」1891年12月15日。
  4. ^ 『官報』第2875号「叙任及辞令」1893年2月1日。
  5. ^ 『官報』第3725号「叙任及辞令」1895年11月27日。
  6. ^ 『官報』第4603号「敍任及辞令」1898年11月1日。
  7. ^ 『官報』第5235号「叙任及辞令」1900年12月12日。
  8. ^ 『官報』第6494号「叙任及辞令」1905年2月25日。
  9. ^ 『官報』第7998号「叙任及辞令」1910年2月23日。
  10. ^ 『官報』第575号「叙任及辞令」1914年7月1日。
  11. ^ a b c d e f g h 故海軍大将栃内曽次郎位階追陞ノ件」 アジア歴史資料センター Ref.A11114150900 
  12. ^ 『官報』第2097号「叙任及辞令」1919年8月1日。
  13. ^ 『官報』第2718号「叙任及辞令」1921年8月22日。
  14. ^ 『官報』第3483号「叙任及辞令」1924年4月7日。
  15. ^ 『官報』第1661号「叙任及辞令」1932年7月14日。
  16. ^ 『官報』第3727号「叙任及辞令」1895年11月29日。
  17. ^ 『官報』第3889号・付録「辞令」1896年6月17日。
  18. ^ 『官報』第5613号「叙任及辞令」1902年3月25日。
  19. ^ 『官報』第5820号・付録「辞令」1902年11月26日。
  20. ^ 『官報』第6727号「叙任及辞令」1905年12月1日。
  21. ^ 『官報』7005号・付録「叙任及辞令」1906年11月2日。
  22. ^ 『官報』第700号「叙任及辞令」1914年12月1日。
  23. ^ a b 『官報』第1067号「叙任及辞令」1916年2月24日。
  24. ^ 『官報』第1310号・付録「辞令」1916年12月13日。
  25. ^ 『官報』第2858号・付録「辞令」1922年2月14日。
  26. ^ 『官報』第5328号「叙任及辞令」1901年4月11日。
  27. ^ 『官報』第6982号「叙任及辞令」1906年10月5日。
  28. ^ 『官報』第1159号「叙任及辞令」1907年8月2日。
  29. ^ 『官報』第1159号「叙任及辞令」1916年6月13日。
  30. ^ 『官報』第1905号「叙任及辞令」1918年12月9日。
  31. ^ 『官報』第2583号「叙任及辞令」1921年3月15日。
  32. ^ 『官報』第3061号「叙任及辞令」1922年10月12日。

参考文献

  • 別冊歴史読本『連合艦隊司令長官』戦記シリーズ№61、新人物往来社、2003年。
  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 海軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
  • 福川秀樹『日本海軍将官辞典』芙蓉書房出版、2000年。
  • 佐野比呂己「栃内曾次郎研究」『国語論集』第8巻、北海道教育大学釧路校国語科教育研究室、2011年3月、26-57頁、CRID 1390013352873983488doi:10.32150/00008625ISSN 1882-4927 
軍職
先代
山屋他人
連合艦隊司令長官
第12・13代:1920年8月24日 - 1921年10月31日
次代
竹下勇
先代
中溝徳太郎
海軍省軍務局長
第12代:1909年12月1日 - 1912年4月20日
次代
江頭安太郎
先代
土屋保
大湊要港部司令官
第8代:1913年5月24日 - 1913年12月1日
次代
上村経吉
先代
加藤定吉
横須賀海軍工廠長
第6代:1913年12月1日 - 1914年12月1日
次代
黒井悌次郎
先代
村上格一
海軍技術本部長
第2代:1915年12月13日 - 1917年9月1日
次代
空席
先代
鈴木貫太郎
海軍次官
第5代:1917年9月1日 - 1920年8月16日
次代
井出謙治
先代
財部彪
佐世保鎮守府司令長官
第20代:1922年7月27日 - 1923年6月1日
次代
斎藤半六




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