山本英輔とは? わかりやすく解説

山本英輔

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/05 08:41 UTC 版)

山本 やまもと 英輔 えいすけ
生誕 1876年5月15日
日本鹿児島県
死没 (1962-07-27) 1962年7月27日(86歳没)
所属組織  大日本帝国海軍
軍歴 1898年 - 1936年
最終階級 海軍大将
墓所 青山霊園
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山本英輔(やまもと えいすけ、1876年明治9年)5月15日 - 1962年昭和37年)7月27日)は、日本海軍軍人。最終階級は海軍大将鹿児島県出身。山本権兵衛内閣総理大臣の甥(権兵衛の兄吉蔵の息子)にあたり、「封じ袴の大将」と呼ばれた。

経歴

慶應義塾幼稚舎攻玉社を経て、海軍兵学校第24期海軍大学校第5期卒業。同期に大角岑生大将がいる。海軍兵学校の入校時の成績順位は18名中第8位、卒業時成績順位は18名中次席。在校中の1896年明治29年)1月29日に学業品行優等章を受章している。日露戦争には第2艦隊参謀として参戦しており、日本海海戦などを歴戦した。軍令部参謀であった1909年(明治42年)には、上司の山屋他人軍令部第二班長に「飛行器」の研究・採用を主張する意見書を提出しており、日本海軍で航空戦力の将来性に注目した最初の人物である[1]

山本はドイツ駐在武官海軍大学校校長、練習艦隊司令官等を経て、1927年昭和2年)に新設された海軍航空本部の初代本部長に就任した。その後は横須賀鎮守府司令長官や連合艦隊司令長官といった要職を歴任している。

政治的にはロンドン海軍軍縮条約に反対しており、いわゆる艦隊派に属していた。また、陸軍皇道派の活動に理解を示していたことから1936年(昭和11年)の二・二六事件の際には、一時陸軍から暫定内閣の首班候補に擬されたが、首相には広田弘毅が就任し、山本英輔内閣は誕生しなかった。事件後、陸軍将校の被告達や真崎甚三郎陸軍大将との関係が濃いと見られたことから危険視され予備役に編入された。この時に中村良三小林躋造の両大将も予備役に編入されている。なお海軍は二・二六事件に強硬な態度を取り、軍事参議官会議で、末次信正、中村、小林は海軍兵力による武力討伐に賛成したが、山本は反対であった。墓所は青山霊園(1ロ10-3丁)

娘婿に日本出版販売社長・会長を務めた杉浦俊介(杉浦敏介の兄)。

年譜

栄典

位階
勲章等

脚注

  1. ^ 『日本の海軍』(下)第3章
  2. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「正規海軍将校並びに海軍特別志願予備将校 昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」82頁。
  3. ^ 『官報』第3746号「叙任及辞令」1925年2月19日。
  4. ^ 『官報』第1317号「叙任及辞令」1931年5月23日。
  5. ^ 『官報』第2205号「叙任及辞令」1934年5月11日。
  6. ^ 『官報』7005号・付録「叙任及辞令」1906年11月2日。
  7. ^ 『官報』第101号「叙任及辞令」1912年11月30日。
  8. ^ 『官報』第1310号「叙任及辞令」1931年5月15日。
  9. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。

参考文献

関連項目

軍職
先代
谷口尚真
連合艦隊司令長官
第19代:1929年11月11日 - 1931年12月1日
次代
小林躋造
先代
堀内三郎
海軍大学校校長
第19代:1923年6月1日 - 1924年12月1日
次代
大谷幸四郎
先代
-
海軍航空本部部長
初代:1927年4月5日 - 1928年12月10日
次代
安東昌喬
先代
吉川安平
野村吉三郎
横須賀鎮守府司令長官
第26代:1928年11月11日 - 1929年12月10日
第29代:1932年2月2日 - 同年10月10日
次代
大角岑生
野村吉三郎



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