大本神諭と終末論とは? わかりやすく解説

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大本神諭と終末論

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/14 09:41 UTC 版)

出口王仁三郎」の記事における「大本神諭と終末論」の解説

1918年大正7年11月6日開祖出口なお81歳で死去する末子出口すみ(澄)が二代教主・夫の王仁三郎教主輔(「補」ではなく特別に「輔」を用いる)となる。1919年大正8年)、大本亀山城址を買収して綾部と並ぶ教団本拠地天恩郷」に改修翌年8月大正日日新聞買収して言論活動進出するなど活発な布教活動により教勢伸ばした19世紀末期から20世紀初頭にかけて日本含め世界的にスピリチュアリズムが活発となり、大本発展国際的な心霊主義勃興無縁ではない。王仁三郎浅野と共に心霊主義的な古神道実践行い大きな成功得た現世利益病気治療期待して大本接近した人々鎮魂帰神法によって神霊世界実感し多く信徒信仰確定的にして大本思想共鳴していった。こうして一般人知識人だけでなく軍人貴族までもが次々入信する。特に元海軍機関学教官浅野和三郎布教により大日本帝国海軍大本影響受けた戦艦香取」では軍隊布教が行われ、浅野正恭(和三郎の兄)は入信山本英輔秋山真之綾部訪れて大本研究している。戦艦日向」など軍艦単位寄付行った艦も少なくない華族では、昭憲皇太后の姪・殿ちか子が入信し宣伝使(宣教師となった香淳皇后養育あたった山田春三宮中顧問官)も入信し宮中某重大事件では王仁三郎相談している。 詳細は「大本神諭」を参照 大本急成長一因終末論があった。浅野和三郎筆頭幹部)や谷口雅春らは「大正十年立替説」(明治五十五年の世の立替大正維新二度目岩戸開き)という終末論大正日日新聞機関誌神霊界」を通じて宣伝する。『大本神諭』は日本神国観打ち出しつつ、日米戦争都市焦土化天皇制国家滅亡すら予言しており、明治維新以降人々深層心理抱いてきた不安や鬱屈強烈な終末観へと増幅した第一次世界大戦米騒動ロシア革命騒然としていた人々大本注目し教団信徒30万人という爆発的な発展見せるに至る。植芝盛平友清歓真岡田茂吉中野与之助柳原白蓮小山内薫といった多く人々が、浅野入信以降大本引き寄せられていった王仁三郎信者達の行き過ぎに警告出したが、「立替え説」について肯定否定もせず曖昧な立場をとる。開祖(旧信者派)と王仁三郎大先生派)の従来対立加えて急進的な浅野派閥争い割り込み浅野たちの勢い王仁三郎派を上回るものがあった。

※この「大本神諭と終末論」の解説は、「出口王仁三郎」の解説の一部です。
「大本神諭と終末論」を含む「出口王仁三郎」の記事については、「出口王仁三郎」の概要を参照ください。

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