吉川安平とは? わかりやすく解説

吉川安平

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/01 23:35 UTC 版)

吉川 よしかわ 安平 やすひら
第二艦隊司令長官時代
生誕 1873年11月17日
大日本帝国山口県
死没 (1959-01-01) 1959年1月1日(85歳没)
所属組織  大日本帝国海軍
軍歴 1895年 - 1929年
最終階級 海軍中将
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吉川 安平(よしかわ やすひら、1873年明治6年)11月17日 - 1959年昭和34年)1月1日)は、日本海軍軍人。最終階級は海軍中将

経歴

山口県出身。吉川弥之助の長男として生れる。周陽学舎、鴻城義塾山口高等学校を経て、1895年12月、海軍兵学校22期)を卒業し、1897年1月、海軍少尉任官。日露戦争では、第14水雷艇隊艇長として出征し、日本海海戦には、駆逐艦「陽炎」艦長として参加した。海兵副官を経て、1909年5月、海軍大学校(甲種6期)を卒業した。

「豊橋」副長、第1潜水艇隊司令、イギリス駐在、海大教官、「伊吹」副長、第3艦隊参謀長、「利根艦長艦政本部造船造兵監督官、海軍省人事局第1課長、「比叡」艦長などを歴任し、1919年12月、海軍少将に進級。、第2艦隊参謀長、海軍水雷学校長、海軍潜水学校長、艦政本部第7部長、同第3部長、呉工廠長などを経て、1923年12月、海軍中将となった。以後、艦政本部長、第2艦隊司令長官、横須賀鎮守府司令長官を歴任。1929年3月、予備役に編入された。後に山口県教育会長を勤めた。

1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[1]

栄典

位階
勲章等

親族

脚注

  1. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十二年十一月二十八日 仮指定者」97頁。
  2. ^ 『官報』第4242号「叙任及辞令」1897年8月21日。
  3. ^ 『官報』第4603号「叙任及辞令」1898年11月1日。
  4. ^ 『官報』第5230号「叙任及辞令」1900年12月6日。
  5. ^ 『官報』第6665号「叙任及辞令」1905年9月15日。
  6. ^ 『官報』第8073号「叙任及辞令」1910年5月23日。
  7. ^ 『官報』第757号「叙任及辞令」1915年2月12日。
  8. ^ 『官報』第2237号「叙任及辞令」1920年1月21日。
  9. ^ 『官報』第3416号「叙任及辞令」1924年1月15日。
  10. ^ 『官報』第14号「叙任及辞令」1927年1月17日。
  11. ^ 『官報』第726号「叙任及辞令」1929年6月3日。
  12. ^ 『官報』第6426号「敍任及辞令」1904年11月30日。
  13. ^ 『官報』7005号・付録「叙任及辞令」1906年11月2日。p8上段
  14. ^ 『官報』第700号「叙任及辞令」1914年12月1日。
  15. ^ 『官報』第2580号「叙任及辞令」1921年3月11日。
  16. ^ 『官報』第2858号・付録「辞令」1922年2月14日。
  17. ^ 『官報』第3296号「叙任及辞令」1923年7月25日。
  18. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。p11

参考文献

  • 秦郁彦編『日本陸海軍総合事典』第2版、東京大学出版会、2005年。
  • 外山操編『陸海軍将官人事総覧 海軍篇』芙蓉書房出版、1981年。
  • 福川秀樹『日本海軍将官辞典』芙蓉書房出版、2000年。




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