航空本部長とは? わかりやすく解説

海軍航空本部

(航空本部長 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/31 21:58 UTC 版)

海軍航空本部(かいぐんこうくうほんぶ、旧字体: 海󠄀軍航空󠄁本部)は、日本海軍省外局の一つ。通称は「航本」。航空機や航空兵器の研究・計画・審査を管掌し、航空要員の教育も担当した。長は本部長であり、原則として海軍中将が就任した。1927年(昭和2年)4月に設立、1945年(昭和20年)11月の海軍省廃止と共に解体された。

沿革

海軍航空本部の創設以前、帝国海軍は航空分野に関する中央総括部署を持たずに、海軍省内部部局や海軍艦政本部が分割して担当していた。しかし、刻々と進歩する航空分野に十分対応するためには統一的に管轄する担当部署が必要であるとの認識から航空関連部署を新設することになった。これが海軍航空本部であり、海軍航空本部令(1927年(昭和2年)4月4日勅令第61号)により海軍艦政本部から分離独立する形で設立された。以後、航空行政を総括する立場から航空戦力増強を推進、それにともない組織も順次強化されていった。終戦後の1945年(昭和20年)11月30日、海軍省廃止に伴い海軍航空本部も解散した。

組織

海軍航空本部には各部があり、それぞれに部長・課長が置かれた。

  • 総務部…開庁と同時に設置。航空本部を統括する。
  • 教育部…開庁と同時に設置。教育を統括する。
  • 技術部…開庁と同時に設置。技術開発を統括する。昭和17年11月1日、4部に発展解消。
  • 補給部…昭和13年4月1日追加。資材調達・生産計画の立案。昭和17年11月1日、「第一部」に改称。
  • 第一部…昭和17年11月1日補給部より改称。分掌は補給部と変わらず。
  • 第二部…昭和17年11月1日技術部より改変。機体設計・開発を担当。昭和20年3月1日より発動機担当を兼務。
  • 第三部…昭和17年11月1日技術部より改変。発動機設計・開発を担当。昭和20年3月1日より発動機部を第一部に譲り、射撃爆撃兵器担当に改変。
  • 第四部…昭和17年11月1日技術部より改変。発着機および計測機器の設計・開発を担当。昭和20年3月1日より雷撃兵器担当に改変。
  • 第五部…昭和20年3月1日海軍艦政本部第三部より権限委譲(部員は艦本三部と兼任)。艦本時代に引き続き無線機器担当。
  • 第六部…昭和20年3月1日海軍艦政本部第五部より権限委譲(部員は艦本五部と兼任)。艦本時代に引き続き計測機器担当(第四部より委譲)。
  • 第七部…昭和20年3月1日第四部より独立。発着機担当。

歴代航空本部長

  1. 山本英輔 中将:1927年(昭和2年)4月5日 -
  2. 安東昌喬 中将:1928年(昭和3年)12月10日 -
  3. 松山茂 少将:1931年(昭和6年)10月10日 -
  4. 加藤隆義 中将:1933年(昭和8年)11月15日 -
  5. 塩沢幸一 中将:1934年(昭和9年)1月17日 -
  6. 山本五十六 中将:1935年(昭和10年)12月2日 -
  7. 及川古志郎 中将:1936年(昭和11年)12月1日 -
  8. (兼)山本五十六 中将:1938年(昭和13年)4月25日 -
  9. 豊田貞次郎 中将:1938年(昭和13年)11月15日 -
  10. (兼)豊田貞次郎 中将:1940年(昭和15年)9月6日 -
  11. 井上成美 中将:1940年(昭和15年)10月1日 -
  12. (兼)沢本頼雄 中将:1941年(昭和16年)8月11日 -
  13. 片桐英吉 中将:1941年(昭和16年)9月10日 -
  14. 塚原二四三 中将:1942年(昭和17年)12月1日 -
  15. 戸塚道太郎 中将:1944年(昭和19年)9月15日 -
  16. (兼)井上成美 中将:1945年(昭和20年)5月1日 -
  17. 和田操 中将:1945年(昭和20年)5月15日 - 11月1日

関連項目


航空本部長

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 05:42 UTC 版)

井上成美」の記事における「航空本部長」の解説

1940年昭和15年10月1日に、海軍航空本部長補される戦後井上は「自分支那方面艦隊参謀長のとき、航空が最も重要だ思い嶋田繁太郎司令長官に、航空関係への転勤希望申し出ていたところ、これが容れられた」と希望通り人事であったことを語っている。12月16日丸田家嫁いだ娘の靚子が長男研一産んだ1941年昭和16年1月会議において井上は「第五次海軍軍備充実計画案」(⑤計画)を「明治・大正時代のようなアメリカ軍備追従した杜撰な計画」と批判し日本独自特長ある、創意豊かな軍備を持つべき」と主張した軍令部二部長・高武雄少将が「では、どうすればいいか」と聞く井上は「海軍空軍化」と答えた井上その後一週間海軍大臣及川古志郎戦艦無用論海軍空軍化を説いた新軍計画論」を提出した具体案は「戦略」の項を参照)。 当初井上このような内容意見書個人意見として提出するつもりだった。ところが、井上が「新軍計画論」を起草し航空本部総務部長山縣正郷少将見せた所、山縣が「ぜひ航空本部長の名で出して下さいと言ったため、1月30日付で、海軍航空本部長から海軍大臣宛に正式に提出された。 井上は「本省機務に関する書類外局たる航本航空本部)には回って来ないので、(時局の)真相はなかなか分らなかった」と回想する。しかし海軍次官豊田貞次郎中将から沢本頼雄中将交代した4月4日から約2週間井上海軍次官代理兼務し機務触れることができた。この時に駐米大使野村吉三郎 が、悪化一途を辿る日米関係改善への必死努力結果、「日米了解案」を東京へ打電して来た。これに対し日米開戦派である海軍省軍務局第二課主務局員柴勝男中佐は、駐米海軍武官横山一郎大佐対し、「日米了解案について、野村大使を『慎重に補佐』すべし」という訓電起案し、軍務局長岡敬純少将提示した。岡は、当初野村の「日米了解案」に乗り気だったものの、結局は意見同意した。しかし、井上は「日米了解案」に非常に乗り気であったため、岡から上がってきた訓電案を良しとせず、海相及川直談判した。井上記憶では、その日は土曜日1941年昭和16年4月19日思われる)で及川はもう帰宅していたので、井上及川私宅訪れた井上は「(起案し、岡が承認した訓電案を)自分加筆修正して軍務局につき返しますからご承知下さい」と及川言った井上は、加筆修正して、岡を通じて電文返した井上は、自分修正した訓電そのまま発電されたものと死ぬまで考えていたようである。しかし、が「それでは訓電の意味なさないので、岡軍務局長了解得て発電中止してしまった」と戦後語っている。次官代理兼任というわずかな機会捉えて反米開戦へ空気ブレーキかけよう必死だった井上は、新次官の沢本頼雄上京して着任する前日熱海一泊する聞き及川願い出て熱海行き兵学校1期上である沢本井上次官代理をした2週間出来事自分の考え説いた7月28日日本南部仏印進駐行ったことで、在米英の日本資産凍結日英通商条約廃棄アメリカ対日石油禁輸などの強力な経済制裁がなされ、日米関係一気悪化した南部仏印進駐7月1日閣議・翌2日御前会議決まった後の7月3日に省部臨時局部長会報(決定事項知らせための会議)で、沢本次官から「南部仏印進駐閣議決定した」と知らされ井上は「航空戦備は全く出来ていない。なぜ、事前に我々の意見聞かないのか」と非を鳴らし艦政本部長豊田副武中将井上同調した弁解する及川沢本に対して井上は「そんなことで大臣が務まりますか。南部仏印進駐文句言ったのは、手続き上の問題ではなく事柄が重大すぎるからだ」と、まるで一兵卒対すかのように怒鳴りつけた。ここまで来て井上諦めず、『海軍航空戦備の現状というかなり長文意見書2週間書き上げ7月22日に、及川古志郎沢本頼雄永野修身近藤信竹ら、海軍省・軍令部首脳説明し航空戦備の各項目(飛行機機銃弾薬魚雷など)について、充足率著しく立ち遅れていることを示し、「戦争をしてはならない」と強く警告したが、彼らは聞く耳を持たなかった。

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