航空本部権限の強化
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陸軍航空の独立強化、究極の目標として空軍の創設は大正期より関係者の念願であった。その後の世界的な軍事思潮はさらに空軍独立が支配的となり、ドイツの再軍備と空軍独立に刺激を受けて1935年頃より陸軍部内では再び空軍独立論議が活発となった。結果としてやはり空軍の独立は成功しなかったが、1936年(昭和11年)2月に起こった二・二六事件後の陸軍中央機構革新の流れの中で陸軍航空の強化が進められた。天皇に直隷し全航空部隊を統一指揮する航空兵団(兵団長は徳川好敏中将)が誕生したのは同年8月である。同時に航空本部の権限も変更を受けた。 1936年8月1日、陸軍省官制改正(勅令第211号)および陸軍航空本部令改正(勅令第212号)が施行された。これによって陸軍航空本部は陸軍省の外局となり権限が強化された。外局とは、陸軍省外の官庁でありながらも特定の業務において陸軍省内の局と同等の資格で事務を分担し、陸軍大臣の幕僚の役割を果たす機関である。それまで陸軍省主管であった航空行政は基本となる一部を除き航空本部に集約し、迅速化が可能となった。具体的な例としては航空機用機関銃や弾薬の審査はそれまで陸軍技術本部で行っていたものを航空本部へ移管し、実行は航空本部長隷下の航空技術研究所が担当すること等々があげられる。この改編の最大の効果は、航空本部長が航空予算を一元的に運用できるようになったことである。航空予算の運用に当たっての重点形成、予算の効力的な使用がこれによって可能となった。同日付で新たに古荘幹郎中将が本部長となり、航空本部の総員は約1000名であった。 陸軍省の外局として航空本部は陸軍大臣の幕僚業務も行うことになったが、それでもまだ航空に最も必要となる飛行場を設定、整備する機能を欠いていた。そこで翌1937年(昭和12年)7月31日、陸軍航空本部令改正(勅令第373号)および陸軍経理部条例改正(勅令第380号)が公布、同日施行され、経理関係機能が強化された。この改正により陸軍航空本部は総務部(第一課、第二課)、第一部(第三課、第四課)、第二部(第五課、第六課)に加えて、経理関係の業務を専門に担当する第三部(第七課、第八課)が置かれた。これは急速な航空増強にともない航空本部の経理業務が繁多となり、その迅速で適切な処理が重要性を増したことが主な理由であるが、航空本部はみずから航空用の土地、建造物等の建設、管理も可能となった。 次に示すのは陸軍航空本部事務分掌規定改正(昭和13年陸達第16号)その他により定められた航空本部における各部の広範な任務の概要である(1938年3月時点)。 総務部 部内の庶務、人事、編制制度、隊務の大綱に関する事項。 民間航空、航空調査、宣伝、兵要気象に関する事項。他部の主管に属さない事項。 第一部 航空関係の諸学校教育、同軍隊教育および演習、同典令範の編纂に関する事項。 航空関係の諸施設、航空通信に関する事項。 第二部 航空兵器および航空燃料の制式、補給、修理、払下げ、調査、研究に関する事項。 航空技術に関する事項。民間軍需工場の利用、培養、統制に関する事項。 第三部 陸軍航空本部および本部長隷下機関の会計経理、航空関係の予算に関する事項。 飛行場その他の施設の設定、建築などに関する事項。
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