徳川好敏
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徳川 好敏(とくがわ よしとし、1884年(明治17年)7月24日 - 1963年(昭和38年)4月17日)は、日本の陸軍軍人、華族。清水徳川家第8代当主にあたり、陸軍で航空分野を主導した。軍人としての最終階級は陸軍中将。華族としての爵位は男爵。1910年(明治43年)12月19日午前、軍公式の飛行試験で日本国内で初めて飛行機により空を飛んだ[1]。
注釈
- ^ 公職追放の該当事項は「正規陸軍将校」[4]。
- ^ 十四日に早くも二メートルの高さで百メートル余り、十六日には高度三メートル、距離百メートルを飛行したが、いずれも「滑走中あやまって離陸」という発表にされている[5]。
出典
- ^ “9月20日は「空の日」 きっかけは徳川家康の子孫!?”. ウェザーニュース (2019年9月20日). 2020年7月24日閲覧。
- ^ 千田稔『華族総覧』講談社現代新書、2009年7月、120頁。ISBN 978-4-06-288001-5。
- ^ 「飛行機上から写真撮影成功」萬朝報 明治44年4月29日 『新聞集成明治編年史. 第十四卷』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 総理庁官房監査課 編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、671頁。NDLJP:1276156。
- ^ 熊本県教育委員会
- ^ 村岡正明『初飛行』、光人社、2010年、164-168頁
- ^ 木村秀政『飛行機の本』、新潮社、昭和37年
- ^ 村岡正明『初飛行』、光人社、2010年、134、156頁
- ^ 横田順彌『雲の上から見た明治』、学陽書房、1999年、15-16頁
- ^ 『官報』第6228号「叙任及辞令」1904年4月8日。
- ^ 『官報』第6648号「叙任及辞令」1905年8月26日。
- ^ 『官報』第3827号「叙任及辞令」1939年10月5日。
- ^ 『官報』号外、「授爵・叙任及辞令」1928年11月10日。
- ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。
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