自決について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/08 18:17 UTC 版)
牧野伸顕襲撃時に負傷、東京第一衛戍病院熱海分院(現・国際医療福祉大学熱海病院)に入院していた河野の元には、弟たちから自決を促す電報が寄せられていたが、本人は既に自決することを決めていたと言われる。 面会に来た兄・河野司(当時上野松坂屋勤務)に自決用の刃物を密かに持参するよう依頼した。司は、渋谷・道玄坂の刃物店で果物ナイフを購入、差し入れを行った。3月5日午後、軍服に着替えて病室を抜けだした河野は、分院の外で割腹、頸動脈を突いて自決した。しかし果物ナイフだったことから致命傷にはならず、16時間が経った3月6日朝、死去した。享年30(満28歳没)。 葬儀は東京で行われ、徳川好敏中将ら所沢飛行学校の教官、同期らも参列したという。 辞世「あを嵐過ぎて静けき日和かな」 墓所 賢崇寺(東京都港区元麻布) なお、自決時の果物ナイフ、遺品などは、襲撃現場となった光風荘に展示してある。
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