文献等に基づく集団自決の理解
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「大江健三郎・岩波書店沖縄戦裁判」の記事における「文献等に基づく集団自決の理解」の解説
座間味島における集団自決について 座間味島では、昭和20年3月23日、忠魂碑前に集合した多数の住民が集団で死亡したと認められ、その際に、軍事装備である手榴弾が利用されたことは証拠から認めることができる。この集団自決を梅澤が命じたとの記載のある『鉄の暴風』『秘録 沖縄戦史』『沖縄戦史』等には、その取材源等は明示されておらず、『秘録 沖縄戦史』のようにその作者が死亡しているような書籍については、座間味島で 集団自決が発生して相当の年月が発生している現在ではその取材源等を確認することは困難である。 しかし『沖縄県史 第10巻』『座間味村史 下巻』『沖縄の証言』には多くの集団自決に関する体験談の記述があるほか、本件訴訟を契機とし新聞報道されたり、本訴に陳述書として提出されたりしている。こうした体験談等は、いずれも自身の実体験に基づく話として具体性、迫真性を有するものといえ、また多数の体験者らの供述が昭和20年3月25日の夜に忠魂碑前に集合して玉砕することになったという点で合致しているから、その信用性を相互に補完し合うものといえる。また、こうした体験談の多くに共通するものとして、日本軍の兵士から米軍に捕まりそうになった場合には自決を促され、そのための手段として手榴弾を渡されたことを認めることができる。 沖縄に配備された第三二軍が防諜に意を用いていたことは、日本軍による住民に対する加害行為に端的に表れている。1.渡嘉敷島において、防衛隊員であった国民学校の訓導が渡嘉敷島で身寄りのない身重の婦人や子供の安否を気遣い数回部隊を離れたため敵と通謀するおそれがあるとしてこれを処刑したこと、2.渡嘉敷島で、赤松大尉が、集団自決で怪我をして米軍に保護され治療を受けた二名の少年が米軍の庇護のもとから戻ったところ、米軍に通じたとして殺害したこと。3.渡嘉敷で、赤松大尉が、米軍の捕虜となりその後米軍の指示で投降勧告にきた伊江島の住民男女六名に対し、自決を勧告し、処刑したこと、これらは第三二軍が防諜に意を用いていたことに通じる。第二戦隊の隊長が昭和20年 2月8日に慶留間島の住民に対して「敵の上陸は必至。敵上陸の暁には全員玉砕あるのみ」と訓示した行為や、米軍の「慶良間列島作戦報告書」の座間味村の状況についての「明らかに、民間人たちは捕らわれないために自決するように指導されていた」との記述も第三二軍が防諜に意を用いていたに通じる。 原告の梅澤が率い、座間味島に駐留した第一戦隊の装備は「機関短銃九のほか、各人拳銃(弾薬数発)、軍刀、手榴弾を携行」というものであり、慶良間列島が沖縄本島などと連絡が遮断されていたから、食糧や武器の補給が困難な状況にあったと認められ、装備品の殺傷能力を比較すると手榴弾は極めて貴重な武器であったと認められる。そして、原告梅澤が本人尋問において村民に渡せる武器、弾薬はなかったと供述していることも判示したとおりである。 こうした事実に加えて、座間味島、渡嘉敷島を始め,慶留間島、沖縄本島中部、沖縄本島西側美里、伊江島、読谷村、沖縄本島東部の具志川グスクなどで集団自決という現象が発生したが、集団自決が発生した場所すべてに日本軍が駐屯しており、日本軍が駐屯しなかった渡嘉敷村の前島では集団自決は発生しなかったことを考えると、集団自決については日本軍が深く関わったものと認めるのが相当であって、沖縄においては、第三二軍が駐屯しており、その司令部を最高機関として各部隊が配置され、第三二軍司令部を最高機関とし、座間味島では原告梅澤を頂点とする上意下達の組織であったと認められるから、座間味島における集団自決に原告梅澤が関与したことは、十分に推認できるというべきである。 もっとも、原告梅澤による自決命令の伝達経路等は判然とせず、原告梅澤の言辞を直接聞いた体験者を本件全証拠から認められない以上、取材源等は明示されていない『鉄の暴風』『秘録 沖縄戦史』『沖縄戦史』等から直ちに『太平洋戦争』にあるような「老人・こどもは村の忠魂碑の前で自決せよ。」との梅澤の命令それ自体まで認定することには躊躇を禁じ得ない。 しかしながら,以上認定したように,梅澤が座間味島における集団自決に関与したものと推認できることに加え、 平成17年度までの教科書検定の状況、学説の状況、諸文献の存在、そうした諸文献等についての信用性に関する当裁判の認定、判断、家長三郎及び被告大江の本件各書籍の取材状況等を踏まえると、原告梅澤が座間味島の住民に対し『太平洋戦争』の内容の自決命令を発したことを直ちに真実と断定できないとしても、この事実については合理的資料若しくは根拠があると評価できるから、本件各書籍の各発行時において、家長及び被告大江らが前記事実を真実であると信じるについての相当の理由があったものと認めるのが相当である。 渡嘉敷島における集団自決について 渡嘉敷島では、昭和20年3月25日西山陣地北方の盆地に集合した多数の住民が集団で死亡したと認められ、その際に、軍事装備である手榴弾が利用されたことは証拠から認めることができる。この集団自決を赤松大尉が命じたとの記載のある『鉄の暴風』『秘録 沖縄戦史』『沖縄戦史』等には、その取材源等は明示されていないことなどは、座間味島における集団自決について先に判示したのと同様である。 渡嘉敷島における集団自決についても、多くのの集団自決の体験者の体験談等があり、これらの体験談等は、いずれも自身の実体験に基づく話として具体性、迫真性を有するものといえ、信用性を有することも、座間味島における集団自決について先に判示したのと同様である。 沖縄に配備された第三二軍が防諜に意を用いており、赤松大尉率いる第三戦隊の渡嘉敷島の住民らに対する加害行為(注:上述の項目「座間味島における集団自決について」)はそうした防諜行為に通じ、第二戦隊の隊長の言動、米軍の「慶良間列島作戦報告書」の記載も防諜に意を用いていたに通じる。 渡嘉敷島における集団自決は、 昭和20年3月27日に渡嘉敷島に上陸した翌日である同月28日に赤松大尉の西山陣地北方の盆地への集合命令の後に発生しており、赤松大尉率いる第三戦隊の渡嘉敷島の住民らに対する加害行為を考えると、赤松大尉が上陸した米軍に渡嘉敷島の住民が捕虜となり、日本軍の情報が漏洩することをおそれて自決命令を発したことがあり得ることは容易に理解できる。赤松大尉は、防衛隊員であった国民学校の訓導が渡嘉敷島で身寄りのない身重の婦人や子供の安否を気遣い、数回部隊を離れたため、敵と通謀するおそれがあるとして処刑しているところ、これに反し、米軍が上陸した後、手榴弾を持った防衛隊員が西山陣地北方の盆地へ集合している住民のもとへ部隊を離れて赴いた行動を赤松大尉が容認したとすれば、赤松大尉が自決命令を発したことが一因ではないかと考えざるを得ない。 赤松大尉が率い、渡嘉敷島に駐留した第三戦隊の装備は「機関短銃五(弾薬六〇〇〇発)のほか,各人拳銃(弾薬一銃 につき四発),軍刀,手榴弾を携行」であったと認められ、慶良間列島が沖縄本島などと連絡が遮断されていたから、食糧や武器の補給が困難な状況にあったと認められ、装備品の殺傷能力を比較すると手榴弾は極めて貴重な武器であったと認められる。そして,第三戦隊に属していた中隊長(上述のI証人)が手榴弾の交付について「恐らく戦隊長の了解なしに勝手にやるようなばかな兵隊はいなかったと思います。」と証言しており、手榴弾が集団自決に使用されている以上、赤松大尉が集団自決に関与していることは、強く推認される。 こうした事実に加えて,先に座間味島における集団自決について判示したとおり、沖縄県で集団自決が発生した場所すべてに日本軍が駐屯しているおり、日本軍が駐屯しなかった渡嘉敷村の前島では集団自決は発生しなかったことを考えると、集団自決については日本軍が深く関わったものと 認めるのが相当であって、沖縄においては第三二軍が駐屯しており、その司令部を最高機関として 各部隊が配置され、第三二軍司令部を最高機関とし、渡嘉敷島では赤松大尉を頂点とする上意下達の組織であったと認められるから、渡嘉敷島における集団自決に赤松大尉が関与したことは、十分に推認できるというべきである。 もっとも、赤松大尉による自決命令の伝達経路等は判然とせず、赤松大尉の命令を直接聞いた体験者を本件全証拠から認められないことは、座間味島における集団自決と同様であり、取材源等は明示されていない『鉄の暴風』『秘録 沖縄戦史』『沖縄戦史』等から、直ちに『沖縄ノート』にあるような「部隊は、これから米軍を迎えうち長期戦に入る。したがって民は、部隊の行動をさまたげないために、また食糧を部隊に提供するため、いさぎよく自決せよ」との赤松大尉の命令の内容それ自体まで認定することには躊躇を禁じ得ないことも、座間味島における集団自決における梅澤の命令と同様である。 しかしながら,以上認定したように、赤松大尉が渡嘉敷島における集団自決に関与したものと推認できることに加え、平成17年度までの教科書検定の状況、学説の状況、諸文献の存在、そうした諸文献等についての信用性に関する当裁判の認定、判断、被告大江の沖縄ノートの取材状況等を踏まえると、赤松大尉が渡嘉敷島の住民に対し『沖縄ノート』にあるような内容の自決命令を発したことを直ちに真実と断定できないとしても、この事実については合理的資料若しくは根拠があると評価できるから、『沖縄ノート』発行時において、被告らが前記事実を真実であると信じるについての相当の理由があったものと認めるのが相当である。
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