伊江島
伊江島
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/03 18:15 UTC 版)
伊江島 | |
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2018年2月19日撮影
出典:『国土交通省「国土画像情報(カラー空中写真)」(配布元:国土地理院地図・空中写真閲覧サービス)』 |
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所在地 | ![]() |
所属諸島 | 沖縄諸島 |
座標 | 北緯26度42分58秒 東経127度47分25秒 / 北緯26.71611度 東経127.79028度 |
面積 | 22.77 km² |
海岸線長 | 23.6 km |
最高標高 | 172.2 m |
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概要

沖縄本島本部半島の西海上5kmに浮かぶ島。島の東部にそびえる尖った「城山」(グスクやま)通称「伊江島タッチュー」が島のシンボルとなっている[1]。なお、歴史的には「伊恵島」と呼ばれた事がある(鹿児島藩による明治3年頃の人口統計より)。現在、島の面積の35.3%が米軍が占有する「伊江島補助飛行場」の管理下にある[2]。
第二次世界大戦(太平洋戦争)にて、昭和18(1943)年に飛行場建設計画にあげられ、延長1,800m幅員300mの滑走路の建設が決定され、建設が始まり、1944年9月に完成。昭和19(1944)年10月10日から南西諸島一帯での米軍の空爆が始まる。空港はほとんど使われることもないまま、1945年3月米軍に奪われることを懼れて、破壊命令が出される[3]。激しい艦砲射撃の後に昭和20(1945)年4月16日に米軍の上陸作戦が開始された。日本軍の根こそぎ動員により住民は防衛隊、青年義勇隊、婦人協力隊等に組織され、赤ん坊を背負った女性が竹槍で斬込隊に参加したという話も伝わる[4]。4月21日午後5時30分に米軍から伊江島確保が宣言された[5]。6日間ほどの戦いで島にいた住民の半数1500人が犠牲となった[4]。犠牲の大きさ、勤労動員、住民の疎開と戦闘参加、集団自決等から伊江島の戦いは沖縄戦の縮図ともいわれた[4]。
1945年8月、日本の降伏のため、降伏調印使節団が搭乗した緑十字機(安導権を示す緑十字のマークをつけた白塗りのDC3型と一式陸上攻撃機2機)と、アメリカ軍のDC4型機(ダグラス C-54 スカイマスター)に乗り換える中継地とされた[6][7]。
脚注
- ^ “伊江島(いえじま)”. nihonshima.net. 2020年4月25日閲覧。
- ^ 沖縄県知事公室基地対策課『沖縄の米軍基地』(平成15年12月)222頁
- ^ “南の島の知られざる〝六日戦争〟 〜沖縄・伊江島〜 - 未来に残す 戦争の記憶 - Yahoo! JAPAN”. 未来に残す 戦争の記憶. LINEヤフー株式会社. 2025年7月4日閲覧。
- ^ a b c “沖縄慰霊の日 住民1500人が犠牲に…知られざる伊江島の戦い “軍民一体化”の島では集団自決も…父の決断で奇跡的に生き抜いた証言【news23】|TBS NEWS DIG - YouTube”. TBS. 2025年7月4日閲覧。
- ^ “総務省|一般戦災死没者の追悼|伊江村における戦災の状況(沖縄県)”. 総務省. 2025年4月22日閲覧。
- ^ “終戦の歴史に埋もれた2通の降伏文書”. Newsweek日本版 (2018年9月6日). 2025年4月22日閲覧。
- ^ 琉球新報社 (2020年8月29日). “「平和の白い鳩」終戦の緑十字機伝えたい 経由地の伊江島、紙飛行機で往時しのぶ”. 琉球新報デジタル. 2025年4月22日閲覧。
関連項目
外部リンク
- 伊江島観光協会
- 南の島の知られざる〝六日戦争〟 〜沖縄・伊江島〜 - Yahoo
伊江島と同じ種類の言葉
- 伊江島のページへのリンク