見島
姓 | 読み方 |
---|---|
見島 | みしま |
見島
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/07 15:29 UTC 版)
注釈
出典
- ^ “見島の自然”. 見島観光協会. 2017年8月11日閲覧。
- ^ 石川創; 渡邉俊輝「山口県鯨類目録」『下関鯨類研究室報告』No.2、1-14頁、2014年。 オリジナルの2015年1月9日時点におけるアーカイブ 。2024年2月7日閲覧。
- ^ “山口県受賞一覧”. 手づくり郷土賞. 国土交通省. 2022年3月16日閲覧。
- ^ 見島に島内初のコンビニがオープンしました!!(萩海運) 2020年04月12日、2021年04月10日閲覧。
- ^ a b 萩市沖表層水温(7月期)、観測史上最高水温を記録[リンク切れ] - 山口県報道発表より
- ^ 見島~萩間 運航時刻表 - 萩海運、2023年1月8日閲覧
- ^ “さわやか自然百景のバックナンバー(2012年5月20日放送)”. さわやか自然百景NHK. 2011年5月25日閲覧。
- ^ “離島・見島”. 山口県. 2016年8月2日閲覧。
- ^ “「見島本村・見島宇津デジタル中継局開局について」『お知らせ』”. 山口朝日放送. 2010年1月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年1月21日閲覧。
- ^ “HCNのサービスエリア一覧”. 萩ケーブルネットワーク. 2013年6月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年1月21日閲覧。
見島(みしま)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/20 06:51 UTC 版)
元ロシア海防戦艦アドミラル・セニャーウィン。1905年(明治38年)6月6日、2等海防艦に編入。主に舞鶴海兵団練習船として使用後、シベリア出兵の際に砕氷艦として使用。1922年(大正11年)4月1日、潜水艦母艇に転籍して佐世保で使用後、1935年(昭和10年)に除籍後、空母鳳翔航空隊の標的艦として使用中に沈没。日本海軍最大の特務艇である。
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見島
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 09:33 UTC 版)
1905年6月6日、日本海軍は鹵獲したロシア軍艦5隻を改名する。「オリョール」は戦艦「石見」、「インペラートル・ニコライ1世」は戦艦「壱岐〈壹岐〉」、駆逐艦「ベドーヴイ」は駆逐艦「皐月」、「ゲネラル・アドミラル・アプラクシン」は海防艦「沖島」、そして「アドミラル・セニャーヴィン」は海防艦「見島」と命名された。同日附で5隻(石見、壱岐、沖島、見島、皐月)は、それぞれ軍艦籍に編入される(沖島と見島は二等海防艦籍)。 「見島」と「沖島」は損傷状態も少なく、樺太作戦のために新設された第四艦隊の第七戦隊に組み込まれている。もともと海防戦艦であるため航洋能力は劣るが、防御力は戦艦に準じており、当時の日本海軍装甲巡洋艦を上回る。当初はロシア海軍時代の武装をそのまま使用していたが、本艦は1907年(明治40年)に主砲爆発事故を起こし、主砲を10吋砲(25.4㎝)に換装した。4.7吋砲(11.9㎝)4門は、6吋砲(15.2㎝)6門に換装された。「見島」と「沖島」は兵装の変更が多い艦であったという。 第一次世界大戦における「見島」は第二艦隊に所属し、青島方面で作戦に従事した。またシベリア出兵に際して1918年(大正7年) に砕氷艦としての改造が行われる。工事内容は、前部砲塔を撤去、艦首の砕氷構造、艦橋の耐寒令式とするなど。改装前の主砲は艦前方に45口径25.4cm連装砲塔を1基、艦後方に45口径25.4cm連装砲塔を1基の計4門。改装後は艦後方に45口径25.4cm連装砲塔を1基の計2門となった。1919年(大正8年)2月以降、「見島」はウラジオストックやシベリア方面に進出した。舞鶴で修理後、1920年(大正9年)2月からは、小樽港(北海道)を基地としてシベリア方面に出動した。 1920年(大正9年)、佐世保鎮守府に初めて潜水艇が配備される。当時の潜水艦は性能的にも技術的にも未熟で、常に母艦の支援を必要としていた。 1922年(大正11年)4月1日、「見島」他艦艇は軍艦籍より除籍された。艦艇類別等級表からも削除。2隻(千代田、見島)は特務艇(潜水艦母艇)に類別される。「見島」は佐世保防備隊の潜水艦母艇として、長期間にわたり使用された。兵装や甲鈑を撤去したため「見島」の乾舷は増し、南西諸島まで潜水隊に随伴して出動することもあったという。 1924年(大正13年)3月19日、佐世保港外で佐世保鎮守府第1回基本演習がおこなわれる。第43号潜水艦は輸送船にみたてた「見島」を襲撃中、「見島」に後続していた天龍型軽巡洋艦「龍田」と衝突した。司令塔下のハッチが閉鎖されていなかったため、第43号潜水艦は浸水して沈没した。潜水艦乗組員45名 全員が殉職した。5月1日、摂政宮(裕仁親王〈昭和天皇〉)は岡田啓介海軍次官と高橋節雄佐世保防備隊司令と会い、第43号潜水艦沈没事故の状況を聴取した。 1935年(昭和10年)10月10日、「見島」は除籍される。翌1936年(昭和11年)1月10日には「廃艦第七号」と仮称された。以後は実艦標的として使用される。5月上旬、空母「鳳翔」の標的艦となり演習に従事した。装甲巡洋艦「常磐」に曳航されて宿毛湾へ移動中、5月5日都井岬沖合にて浸水が進み、廃艦7号(見島)は艦前部から海没する。16時43分に全没した。
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見島
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/24 04:25 UTC 版)
見島 - 山口県の島。 見島 (得撫郡) - 千島列島の集落。 見島 (海防艦) - 日本海軍の艦艇。
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