海兵団とは? わかりやすく解説

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かいへい‐だん【海兵団】

読み方:かいへいだん

旧日本海軍で、軍港警備下士官新兵教育・訓練のために各鎮守府設置されていた陸上部隊


海兵団

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/30 22:41 UTC 版)

海兵団(かいへいだん)は、大日本帝国海軍において、軍港警備防衛下士官、新の補欠員の艦船部隊への補充、また海兵団教育と称するその教育訓練のために練習部を設け、海軍四等兵たる新兵、海軍特修兵たるべき下士官などに教育を施すために、鎮守府警備府に設置されていた陸上部隊である。

概要

新兵教育

志願兵徴兵として海軍兵に採用された新兵は、海兵団に入団すると、数ヶ月間基礎教育を受ける。軍隊教育の基礎であり、海軍兵として進むべき基礎であるから、海軍の一般教育と同じく精神教育、技術教育、体育に分けて課せられる。精神教育は軍人精神の涵養が主眼である。技術教育は将来、海上勤務に必要な一般概念を会得させるほか、兵種によって必要な技能、概念を教える。体育は武技、体技に区別し、厳格な訓練を実施する。

練習部教育

新兵教育のほか、工術、軍楽術、船匠術補習生、普通科、高等科信号術練習生、掌厨術練習生、特修科軍楽術練習生に区別され、5ヶ月ないし2箇年間の教育を行ない、特修兵たるべき下士官兵の教育を施す。四等軍楽兵、軍楽術補習生、高等科信号術練習生、特修科軍楽術練習生の教育は横須賀海兵団のみで行われる。

徴用した建物の掃除など、臨時の雑用にもかり出された[1]

所在地

※団長は『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。

  • 横須賀海兵団

当初は神奈川県三浦郡横須賀町逸見に設置、大正6年に横須賀市楠ヶ浦に移転した。戦後は米軍基地に転用。

団長
今井兼昌 大佐:1905年12月12日 - 1906年11月22日
野元綱明 大佐:1906年11月22日 - 1907年3月12日
西紳六郎 大佐:1907年3月12日 - 1908年5月15日
仙頭武央 大佐:1908年5月15日 - 1910年1月27日
奥宮衛 大佐:1910年1月27日 - 1910年12月1日
久保田彦七 大佐:1910年12月1日 - 1911年5月22日
矢島純吉 大佐:1911年5月22日 - 12月1日
東郷静之介 大佐:1911年12月1日 - 1912年12月1日
今井兼胤 大佐:1912年12月1日 - 1914年5月29日
岡田三善 大佐:1914年5月29日 -
村上鋠吉 大佐:1918年12月1日[2] - 1919年11月20日[3]
増田幸一 大佐:1919年11月20日[3] -
勝木源次郎 大佐:1920年11月20日[4] - 1922年8月1日[5]
兼坂隆 大佐:1922年8月1日[5] -
松平保男 大佐:1923年12月1日[6] - 1925年4月15日[7]
鹿江三郎 大佐:1925年4月15日[7] -
三矢四郎 大佐:1927年12月1日[8] -
松本忠左 大佐:不詳 - 1931年12月1日[9]
秋山虎六 少将:1931年12月1日[9] - 1933年9月18日[10]
柴山昌生 大佐:1933年9月18日[10] - 1934年11月15日[11]
宮田義一 大佐:1934年11月15日[11] -
後藤英次 大佐:1935年11月15日[12] - 1936年12月1日[13]
副島大助 大佐:1936年12月1日[13] -
  • 武山海兵団

昭和16年11月20日神奈川県三浦郡武山村に「横須賀第二海兵団」設置、昭和19年1月4日改称。戦後は陸自武山駐屯地・海自横須賀教育隊に転用。

  • 浜名海兵団

昭和19年9月15日静岡県新居町に設置。

杉浦克己『艦砲射撃のもとで 新居の戦争』(1997年3月出版)によると、前身部隊である浜名警備隊での、魚雷爆発事故による司令官更迭により、海兵団に再編された。

昭和20年5月27日。海軍記念日祭典中にB-24 (航空機)三機による空襲があり、将兵並びに招待された民間人に負傷者が出た。負傷者は豊川海軍共済病院に搬送されたが、豊川空襲にて亡くなられたと有る。

戦後は同町新居交通公園内に上記の戦没者慰霊碑が鎮座している。

また同海兵団が昭和20年7月25日に撃墜したB-17 (航空機)の慰霊碑が新居町の西山富士見台に鎮座する。

団長

 古閑孫太郎 大佐:1944年9月1日

 浦野角造 少将:1944年9月15日

呉鎮守府管轄

  • 呉海兵団

呉鎮守府設置と同時に鎮守府用地内に設置。戦後は海自呉教育隊に転用。

団長
徳久武宜 大佐:不詳 - 1905年12月12日
野元綱明 大佐:1905年12月12日 - 1906年11月22日
長井群吉 大佐:1906年11月22日 - 1908年9月15日
矢島純吉 大佐:1908年9月15日 - 1910年1月27日
仙頭武央 大佐:1910年1月27日 - 12月1日
広瀬順太郎 大佐:1910年12月1日 - 1911年12月1日
向井弥一 大佐:1911年12月1日 - 1912年6月29日
山崎米三郎 大佐:1912年6月29日 - 9月27日
松岡修蔵 大佐:1912年9月27日 - 1913年4月1日
水町元 大佐:1913年4月1日 - 1913年12月1日
荒西鏡次郎 大佐:1913年12月1日 - 1914年4月17日
(兼)松岡修蔵 大佐:1914年4月17日 - 5月27日
秋沢芳馬 大佐:1914年5月27日 - 不詳
本田親民 大佐:不詳 - 1916年12月1日
糸川成太郎 大佐:1916年12月1日 - 1919年4月18日[14]
正木義太 大佐:1919年4月18日[14] -
古川弘 大佐:不詳 - 1922年8月1日[5]
三上良忠 大佐:1922年8月1日[5] -
矢野馬吉 大佐:1923年12月1日[6] - 1925年7月10日[15]
近藤直方 大佐:1925年7月10日[15] -
小森吉助 大佐:1927年12月1日[8] - 1928年4月1日[16]
瀬崎仁平 大佐:1928年4月1日[16] -
蔵田直 大佐:1930年12月1日[17] -
宍戸好信 大佐:1934年11月15日[11] -
  • 大竹海兵団

昭和16年11月20日広島県佐伯郡大竹町に「呉第二海兵団」設置、昭和19年1月4日改称。戦後は引揚援護局を経て大竹港の港湾施設に転用。

  • 安浦海兵団

昭和19年9月1日広島県賀茂郡安浦町に設置。戦後は安浦中学校や住宅地・農地に転用。

佐世保鎮守府管轄

  • 佐世保海兵団

佐世保鎮守府設置と同時に鎮守府用地内に設置。戦後は米軍基地に転用。

団長
佐々木広勝 大佐:不詳 - 1905年12月12日
高木助一 大佐:1905年12月12日 - 1908年4月7日
宮地貞辰 大佐:1908年4月7日 - 12月10日
釜屋忠道 大佐:1908年12月10日 - 1909年12月1日
荒川規志 大佐:1909年12月1日 - 1910年12月1日
森越太郎 大佐:1910年12月1日 - 1912年2月1日
上村経吉 大佐:1912年2月1日 - 1913年5月24日
堀輝房 大佐:1913年5月24日 - 1915年6月30日
野村房次郎 大佐:1915年6月30日 - 1916年12月1日
古川弘 大佐:1916年12月1日 - 1918年7月17日[18]
新納司 大佐:1918年7月17日[18] - 1919年2月12日[19]
平岩元雄 大佐:1919年2月12日[19] - 8月5日[20]
大見丙子郎 大佐:1919年8月5日[20] - 1920年11月20日[4]
井手元治 大佐:1920年11月20日[4] - 1921年11月20日[21]
牟田亀太郎 大佐:1921年11月20日[21] -
植村信男 大佐:1922年5月1日[22] - 11月10日[23]
匝瑳胤次 大佐:1922年11月10日[23] -
大寺量吉 大佐:1923年12月1日[6] - 1925年4月15日[7]
湯地秀生 大佐:1925年4月15日[7] - 1926年12月1日[24]
瀧田吉郎 大佐:1926年12月1日[24] -
相良達夫 大佐:1928年12月10日[25] -
鈴木新治 大佐:1934年11月15日[11] -
佐倉武夫 大佐:1936年12月1日[13] -
坂本伊久太 少将:1938年4月20日 - 1939年11月15日[26]
  • 相浦海兵団

昭和16年11月20日長崎県佐世保市相浦に「佐世保第二海兵団」設置、昭和19年1月4日改称。戦後は陸自相浦駐屯地に転用。

  • 針尾海兵団

昭和19年5月10日長崎県東彼杵郡江上村に「佐世保第三海兵団」設置。海軍兵学校針尾分校を併設。戦後は引揚援護局、陸自針尾駐屯地・農地を経てハウステンボスに転用。

舞鶴鎮守府管轄

  • 舞鶴海兵団

舞鶴鎮守府設置と同時に中舞鶴に設置するが、要港部降格後は海軍機関学校に転用。昭和14年4月東舞鶴に再設置。戦後は保安庁警備隊舞鶴練習隊(現海上自衛隊舞鶴教育隊)に転用。

団長
池中小次郎 大佐:1905年12月12日 - 1908年4月7日
西山保吉 大佐:1908年4月7日 - 12月10日
羽喰政次郎 大佐:1908年12月10日 - 1909年5月22日
小花三吾 大佐:1909年5月22日 - 1910年3月9日
土屋光金 大佐:1910年3月9日 - 7月16日
上村経吉 大佐:1910年7月16日 - 1911年1月31日
今井兼胤 大佐:1911年1月31日 - 1912年12月1日
本田親民 大佐:1912年12月1日 - 1914年5月27日
三輪修三 大佐:1914年5月27日 - 不詳
有馬純位 大佐:不詳 - 1915年10月1日
大島正毅 大佐:1915年10月1日 - 12月13日
四元賢助 大佐:1915年12月13日 - 1917年5月8日
島内桓太 大佐:1917年5月8日 - 1917年12月1日[27]
篠崎真介 大佐:1917年12月1日[27] - 1918年5月3日[28]
安村介一 大佐:1918年5月3日[28] - 11月10日[29]
福地嘉太郎 大佐:1918年11月10日[29] - 1920年12月1日[30]
横地錠二 大佐:1920年12月1日 - 1921年12月1日[31]
安村介一 大佐:不詳 - 1922年8月1日[5]
(兼)加藤弘三 大佐:1922年8月1日[5] - 1922年11月20日[32]
江口金馬 大佐:1922年11月20日[32] -
勝野実 大佐:1939年12月1日 - 1940年11月15日[33]
  • 平海兵団

昭和19年9月1日舞鶴市平に設置。戦後は引揚援護局を経て平工業団地に転用。

大湊警備府管轄

  • 大湊海兵団

大阪警備府管轄

  • 大阪海兵団
  • 田辺海兵団

鎮海警備府管轄

  • 鎮海海兵団

高雄警備府管轄

  • 高雄海兵団

脚注

  1. ^ <4> 戦争 人間性奪い家庭も破壊”. 中国新聞 (2009年8月21日). 2013年6月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年11月7日閲覧。
  2. ^ 『官報』第1900号、大正7年12月3日。
  3. ^ a b 『官報』第2190号、大正8年11月21日。
  4. ^ a b c 『官報』第2493号、大正9年11月22日。
  5. ^ a b c d e f 『官報』第3001号、大正11年8月2日。
  6. ^ a b c 『官報』第3385号、大正12年12月4日。
  7. ^ a b c d 『官報』第3792号、大正14年4月16日。
  8. ^ a b 『官報』第279号、昭和2年12月2日。
  9. ^ a b 『官報』第1478号、昭和6年12月2日。
  10. ^ a b 『官報』第2017号、昭和8年9月19日。
  11. ^ a b c d 『官報』第2364号、昭和9年11月16日。
  12. ^ 『官報』第2663号、昭和10年11月16日。
  13. ^ a b c 『官報』第2976号、昭和11年12月2日。
  14. ^ a b 『官報』第2011号、大正8年4月19日。
  15. ^ a b 『官報』第3865号、大正14年7月11日。
  16. ^ a b 『官報』第376号、昭和3年4月2日。
  17. ^ 『官報』第1179号、昭和5年12月2日。
  18. ^ a b 『官報』第1788号、大正7年7月18日。
  19. ^ a b 『官報』第1957号、大正8年2月13日。
  20. ^ a b 『官報』第2101号、大正8年8月6日。
  21. ^ a b 『官報』第2793号、大正10年11月22日。
  22. ^ 『官報』第2922号、大正11年5月2日。
  23. ^ a b 『官報』第3085号、大正11年11月11日。
  24. ^ a b 『官報』第4283号、大正15年12月2日。
  25. ^ 『官報』第587号、昭和3年12月11日。
  26. ^ 『日本海軍史』第10巻、249頁。
  27. ^ a b 『官報』第1601号、大正6年12月3日。
  28. ^ a b 『官報』第1724号、大正7年5月4日。
  29. ^ a b 『官報』第1883号、大正7年11月12日。
  30. ^ 『官報』第2501号、大正9年12月2日。
  31. ^ 『日本海軍史』第10巻、563頁。
  32. ^ a b 『官報』第3093号、大正11年11月21日。
  33. ^ 『日本海軍史』第9巻、796頁。

参考文献

  • 海軍歴史保存会『日本海軍史』第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
  • 官報

海兵団

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/15 00:53 UTC 版)

兵 (日本軍)」の記事における「海兵団」の解説

「海兵団」も参照 海兵団は兵種ごとに分隊陸軍中隊に相当)を編成した分隊を15-16人程度の教班に分けて教育行った分隊長大尉で、海兵団長は少将であった。海兵団は鎮守府下部機関で、横須賀、呉、佐世保舞鶴にあった出身県ごとに配属される海兵団は決まっていた。 分隊長兵学校出身大尉大半だったが、中には一般の兵から叩き上げた特務大尉特務中尉もいた。 海兵団の兵種次の通りである。 水兵 飛行兵当初航空兵整備兵分離されるとともに改称整備兵航空兵から分離機関兵 工作兵 軍楽主計看護兵(後に衛生兵改称) 兵の受けた教育次のものがある。 短艇橈漕教練 短艇カッター陸戦教練 陸軍同じように銃を担いで教練であった海軍陸戦隊があったことによる手旗信号 必須科目 相撲銃剣術 甲板掃除 結索ロープ結び方学習 座学 教室で行う普通の授業修身軍事学中心で、国語算術学んだ海軍で陸軍異なり「しごき」や肉体的制裁公然と認められていた。日本海軍に於いて特に有名な「しごき」は海軍精神注入棒軍人精神注入棒大東亜戦争勝ち抜き棒)等と呼ばれる硬いの木の太棒(他には止索(とめなわ)と呼ばれる太い係留用ロープやラッタルの手摺(通称、真剣棒)が使われる事さえあった)やを構えた下士官古兵が、教育の名の下に壁に手をつかせた新兵尻を叩く行為所謂ケツバット当時海軍でバッタ呼ばれていた)が有名である。叩かれ腫れ上がった尻のせいで、その夜まともに仰向けで寝る事が出来ず奥歯噛み堪えながら夜を明かす新兵多かった中には叩く力が強すぎて肛門裂けた新兵叩きどころが悪く背骨に当たり死亡した(=殺された)新兵さえいた。 この「しごき」は海兵団での教育中は勿論、艦や部隊配属された先でも変わらず常態化していた。特に大和型などの戦艦空母といった大型艦軍艦)程「しごき」の壮烈さは酷く新兵を飲む暇すら無かった逆に駆逐艦潜水艦といった戦艦等と比較し所帯染みた小型艦は「しごき」のレベル弱かった。他に見方によっても違うが、甲板掃除は「しごき」のひとつと言える

※この「海兵団」の解説は、「兵 (日本軍)」の解説の一部です。
「海兵団」を含む「兵 (日本軍)」の記事については、「兵 (日本軍)」の概要を参照ください。

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