陸軍工兵学校
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陸軍工兵学校(りくぐんこうへいがっこう)は、1919年 - 1945年(大正8年 - 昭和20年)に、千葉県松戸市にあった旧陸軍の学校である。
沿革
- 1919年12月1日 - 千葉県東葛飾郡明村[1]相模台の松戸競馬場跡地に開校
→「中山競馬場 § 関東大震災等の影響」、および「中山競馬倶楽部 § 沿革」も参照
- 12月13日 - 事務を開始[1]。
- 1945年8月30日 - 陸軍の解体により閉校
歴代校長
- 古賀啓太郎 大佐:1919年12月1日 - 1924年12月15日[2]
- 若山善太郎 少将:1924年12月15日 -
- 岩越恒一 少将:1929年8月1日 -
- 上村友兄 少将:1931年8月1日 -
- 佐村益雄 少将:1933年9月11日 -
- 牛島実常 中将:1935年3月15日 -
- 浅川一衛 少将:1937年3月1日 -
- 林柳三郎 少将:1938年6月23日 -
- 木村経広 少将:1940年8月1日 - 1941年9月15日
- 吉岡善四郎 少将:1941年12月1日 -
- 河田末三郎 少将:1943年3月1日 -
- 吉岡善四郎 少将:1944年3月1日(再)-
- 岡田元治 少将:1944年11月22日 -
所在地・交通
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陸軍工兵学校跡(撮影:2006.12)
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哨戒舎(撮影:2006.12)
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「陸軍用地」の境界をあらわす境界石(撮影:2006.12)
跡地
陸軍解体後の1945年(昭和20年)10月、東京都芝区(現・港区)新芝町の国電田町駅前にあった東京工業専門学校が移転してきた。学制改革を経て千葉大学工芸学部→工学部となるものの、1964年(昭和39年)に千葉市へ移転した。
千葉大学が国庫(大蔵省関東財務局)に返還した土地の一部は、学校法人東京聖徳学園に払い下げられ、聖徳学園高等保育学校(現・聖徳大学幼児教育専門学校)を改組して聖徳学園短期大学を開学する。
1990年には同じ敷地内に4年制の聖徳大学が開学した。
残部は松戸市に払い下げられて松戸中央公園となり、正門及び哨戒舎が現在も公園内にそのまま残されている。他、松戸市立第一中学校や千葉地方裁判所松戸支部・千葉地方検察庁松戸支部などが移転してきた。
脚注
参考文献
関連項目
- 大日本帝国軍の学校等一覧
- 中山競馬場
- 千葉大学
- 千葉大学工学部・大学院工学研究院
- 東京高等工芸学校
- 東京科学大学附属科学技術高等学校 - 旧制東京高等工芸学校は、JR山手線・京浜東北線田町駅前の現在、本校がある場所に所在した。
- 東京聖徳学園
- 松戸市
- 千葉地方裁判所
- 千葉県の軍事史跡一覧
外部リンク
固有名詞の分類
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