陸軍恤兵部
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/30 13:31 UTC 版)
陸軍恤兵部(りくぐんじゅっぺいぶ)は、陸軍省内の部署の一つである。長は恤兵監。戦時もしくは事変に際して陸軍大臣が必要としたときに設置されるとされ、日清戦争が始まった明治27(1894)年に設置された[1][2]。
戦地への慰問、或は慰問で送られるものを「恤兵」と呼ぶが、この部署では主にその恤兵の管理などを行っていた。また『陣中倶楽部』など、兵士向けの慰問雑誌の発行業務も行っていた[3]ほか、招集された映画監督(伊賀山正光など)による映画班も編成され、実際に製作も行われた[4]。日中戦争の長期化に伴って恤兵も大きく増加したため、その規模は拡張した。
慰問金の分配や寄付金による慰問品の購入、戦地への慰問団の派遣、遺族扶養や傷痍軍人・帰還兵の援助も担った[5]。
設置にかかった費用は、四千七拾弐圓七拾六銭である[6]。
脚注
- ^ 由浩, 喜多 (2019年8月4日). “【聞きたい。】押田信子さん 『抹殺された日本軍恤兵部の正体』 「ナゾの組織」実態に迫る”. 産経新聞:産経ニュース. 2025年4月30日閲覧。
- ^ “陸軍恤兵部|アジ歴グロッサリー”. www.jacar.go.jp. 2025年4月30日閲覧。
- ^ 『戰線文庫』と『陣中倶楽部』
- ^ 伊賀山正光『日本映画人名事典 監督編』p44 キネマ旬報社編 1997年
- ^ 中野, 綾子 (2014). “慰問雑誌にみる戦場の読書空間”. 出版研究 45: 139–157. doi:10.24756/jshuppan.45.0_139 .
- ^ “臨時陸軍中央金櫃部及陸軍恤兵部設置ニ係ル諸費ヲ国庫剰余金ヨリ支出ス”. www.digital.archives.go.jp. 2025年4月30日閲覧。
参考文献
- 押田信子『抹殺された日本軍恤兵部の正体 この組織は何をし、なぜ忘れ去られたのか?』扶桑社、2019年(令和元年)。
関連項目
- わらわし隊
- 米国慰問協会 - アメリカ軍の慰問などを管理するNGO団体。
- Entertainments National Service Association - 第二次世界大戦中のイギリス軍に対して娯楽を提供していた機関(イギリス軍の機関)。
- Truppenbetreuung、国民啓蒙・宣伝省 - ドイツ軍の慰問について。
外部リンク
- 恤兵会の活動 - 千葉市地域情報デジタルアーカイブ
- 陸軍恤兵部のページへのリンク