国民啓蒙・宣伝省
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座標: 北緯52度30分45秒 東経13度23分01秒 / 北緯52.51250度 東経13.38361度
- ^ Jutta Sywottek: Mobilmachung für den totalen Krieg. Die propagandistische Vorbereitung der deutschen Bevölkerung auf den Zweiten Weltkrieg. Opladen 1976, S. 23.
- 1 国民啓蒙・宣伝省とは
- 2 国民啓蒙・宣伝省の概要
- 3 活動
国民啓蒙・宣伝省
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宣伝省は「政府の政策及び祖国ドイツの国民的再建に関する民族への啓蒙と宣伝」を目的とする省庁として、1933年3月13日に設立された。この宣伝省が最初に行った大イベントが、3月21日の「民族高揚の日」と名付けられた国会開会記念式典である。この式典はプロイセン以来のドイツの伝統を反映させた壮麗なものであり、多くの保守的な国民の心をつかんだ。この日は後にポツダムの日(de)と呼ばれるようになる。ナチス・ドイツ時代を通じて宣伝省は、「総統誕生日」や「ナチ党党大会」などの大小のイベントを次々と行い、国家社会主義運動が生み出す興奮と感動を体感させようとした。 ヒトラーは『我が闘争』の中で「国家はいわゆる『新聞の自由』という法螺話に惑わされることなく、断固として民族教育のこの手段を確保し、国家と国民に奉仕させねばならない」と述べているが、この「民族教育の手段」と見なされたものには出版、ラジオ、映画、演劇、芸術なども含まれた。宣伝省とその傘下の帝国文化院(de)はこれらに介入し、あるべき「民族教育」のために検閲や指導を行った。その始まりとして知られるのが、宣伝省主催による1933年5月の「反ドイツ的な書物」の焚書デモンストレーションである。 さらに帝国造形芸術院によって行われた、民族にとって有益な芸術の『大ドイツ芸術展』、害となる芸術の『退廃芸術展』、『退廃音楽展』などのキャンペーンもよく知られている。1939年の第二次世界大戦勃発後は「一言一句すべて虚偽である」外国放送の聴取自体が罪となった。
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