国民国家と政教分離
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/10 01:10 UTC 版)
「ヨーロッパにおける政教分離の歴史」の記事における「国民国家と政教分離」の解説
アメリカとフランスの革命を契機として政教分離思想が普及し、19世紀のヨーロッパではそれにもとづいた制度的再編がなされた。 アメリカでは独立以来、政教分離原則が確立して信教の自由が合衆国憲法によって保障され、人々の宗教活動は国家の支配下にない自由教会によって担われることとなった。そこでは、宗教が制度的にほぼ完全に国政から分離されているため、しばしば「大覚醒」の運動が起こり、伝道集会やリバイバル集会が社会問題を取り上げて革新を訴えるなど、かえって宗教が政治に大きな影響をおよぼすという現象がみられる。 フランス革命は「単一にして不可分」の近代国民国家をヨーロッパの地に生み出した歴史的大事件であった。封建制度下では地域によって法も慣習も言語も異なり、その生活は多様であったが、フランス革命は一国の政治や法が経済・文化を含めた人々の生活全体を規定する新しい社会の始まりであった。ナポレオン帝政における集権的官僚機構の再編や徴兵制による軍の国家独占、統一民法典の編纂などにみられるフランスの政治統合は、いずれも革命期に土台がつくられたものであった。換言すれば、革命は絶対王政的な国制を解体して身分制的な特権と社団的な社会編成にもとづく国家から、市民的平等と国民主権を軸とする立憲制的な国民国家への転換であった。そして、それは公民としてのフランス国民を創出しようとした文化統合における試行錯誤の営みであり、「習俗革命」の試みでもあったが、その試みは革命後も長く続いた。フランスにおける文化統合は、一般に第三共和政において完成したと評価される。 フランス革命は一国の変革にとどまらず、ヨーロッパ各地でナショナリズムを引き起こし、自由主義・民主主義の運動を後押しする革命神話を提供した。バイエルン・プロイセンの改革、ベルギーの独立、イタリア・ドイツの統一などはフランス革命とナポレオン支配を抜きにしては語れないうえ、アメリカ独立とフランスの両革命はハイチ革命をはじめとして大西洋をはさんだラテンアメリカ諸国の独立に影響をおよぼし、「大西洋革命」と呼ばれる広範な影響をおよぼした。19世紀は、人々が「国民」に変わっていく世紀になったのである。 フランスでは第三共和制のもとで国家の非宗教化・中立化(ライシテ)が進み、1905年に政教分離法(教会国家分離法)が施行された。
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