国民国家の認識
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 23:01 UTC 版)
近代に入り、日本がネーションステート(国民 / 民族国家)として朝鮮半島や台湾島を領有していた時代には、日本人という語は、公式には、朝鮮人、台湾人など日本国籍を付与された併合地の先住民族を含む国籍的概念であった。これらの地域には日本本土と同じ法令(現行の刑法など)が施行された事実上の併合であった。朝鮮人からは数百名の貴族が叙爵(侯爵・伯爵・子爵・男爵)され東京の帝国議会貴族院に議席を有した。また、朝鮮高等法院などの裁判所の裁判例は、東京や大阪の下級審を拘束した(現在の東京地方裁判所も、朝鮮高等法院の裁判例に違反した場合、控訴理由になる)。以上から、日本本土は内地それ以外の地域は外地と呼ばれていたのは地理的概念である。 事実上の内地であった南樺太では、ロシア人、ポーランド人、ウクライナ人、ドイツ人、朝鮮人、ウィルタやニヴフの中には日本国籍を持っていた者もいた。そのため、第二次世界大戦後、ソ連によって日本人として北海道に強制送還、ないしは自ら進んで移住した朝鮮人、ウィルタ、ニヴフがいた。また、反ソ分子として抑留された者もいた。ポーランド系日本国民の多くはポーランド国籍を取得しポーランドに移住した。
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