国民大会議場として
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/13 07:51 UTC 版)
中山楼が完成した後、楼内の中華文化堂は収容人数1,800人という規模を生かして国民大会の議場となり、2005年に国民大会が活動を「凍結」するまで使われた。 なお、1949年の遷台以前は、首都・南京(中国語版)の国民大会堂(中国語版)で制憲国民大会と第1期国民大会第1次会議(中国語版)が開催されていたが、遷台以降は中山楼が完成するまでは台北の中山堂が国民大会の議場として使用されていた。
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