松戸競馬場の移転
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/03 07:59 UTC 版)
松戸競馬倶楽部時代には流行ることもなかったが大きな問題も起こさず競馬を開催していたが、1919年(大正8年)、日本陸軍がこの地に工兵学校を作るため競馬場敷地を望む。当地は競馬場地としては狭隘で地形も悪いので松戸競馬倶楽部は陸軍の申し出を受け入れ、移転費一切は陸軍の負担で中山村と葛飾村にまたがる地に移転することになった。移転した松戸競馬倶楽部は中山競馬倶楽部と名を改め1920年(大正9年)に中山競馬を開催する。ちなみに中山競馬倶楽部は1923年(大正12年)の馬券発売許可時に内紛を起こしている。 1919年(大正8年)秋の開催を最後に松戸競馬場は廃止され、跡地は陸軍工兵学校となった。
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