松戸競馬倶楽部の開催
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/03 07:59 UTC 版)
松戸競馬倶楽部は1910年(明治43年)以降は政府の補助金を運営資金として毎年春秋の2回各回3日間ずつの開催を行う。限られた補助金で運営される競馬は賞金も馬券黙許時代より大きく減額されている。馬券が発売できないので競馬開催費用として明治43年春期開催分として松戸競馬倶楽部へは政府から7420円の補助金が出された。この額は東京競馬倶楽部への補助金38,750円の1/5以下ではあるが、京都や小倉、藤枝などの競馬倶楽部と同じ金額である。補助金の内訳は抽籤馬購入補助900円、賞金6020円、施設修繕費500円。 松戸競馬倶楽部としての初開催は1910年(明治43年)春。馬券を売らない競馬は不人気で明治43年秋季初日には観客はわずか100人にも満たず(内、有料入場者は22人)、日曜日の三日目は快晴で紅葉狩りをかねて観客は増えたがそれでも有料入場者は34人しかいなかった。馬券を売らない競馬には競馬会側の熱意もなく、河野会長は初日二日目には姿を見せず、最終日に少し顔を出しただけだという。副会長に至っては顔すら見せなかったという。 松戸競馬倶楽部時代の松戸競馬では春秋の2回各3日間開催で1開催の3日間のレース数は17-23レース、出走数は32-54頭、賞金総額は4800円から6100円程度で行われていた(末尾データ参照)。馬券を売れた総武競馬会時代に比べ馬も賞金も大きく減っている。 総武競馬会時代には馬は内国産馬と豪州産馬のそれぞれのレースが組まれていたが、高価な豪州馬は明治45年になると姿を消し、松戸の馬は内国産馬のみになる。
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