松戸線
松戸線
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/01 09:11 UTC 版)
工兵学校が先に構築した工兵学校-八柱演習場間と、鉄道連隊第三大隊から昇格の鉄道第二連隊が構築した津田沼-八柱演習場間からなる路線。1932(昭和07)年完成、1945(昭和20)年廃止。習志野線同様に日常の物資運搬と兵員輸送用に定期便の運用が行われたとされ、この松戸線では工兵学校への機材資材搬入も行われていたとされる。支線として、工兵学校と鉄道第二連隊が構築した胡録台分岐-中の兵駅と、工兵学校が構築した中の兵駅-浅間台と中の兵駅-矢切の手押軽便線がある。 路線津田沼-松戸(28.5km) 担当主務: 鉄道第二連隊<津田沼>、(旧・鉄道連隊分駐第三大隊が昇格)、 参考: 昇格、1918(大正07)年 共同: 工兵学校<松戸>、 参考: 創設、1919(大正08)年 本線軍用津田沼駅-工兵学校 施工工兵学校-八柱演習場(1924(大正13)年) -工兵学校 軍用津田沼駅-八柱演習場(1927(昭和02)年頃~1932(昭和07)年頃) -鉄道第二連隊 運用鉄道第二連隊(常設線の定期便) 支線胡録台分岐-中の兵駅 中の兵駅-浅間台<手押軽便路線> (浅間台は鉄道省線常磐線引込線の所在) 中の兵駅-矢切<手押軽便路線> 沿線演習線構築と定期便運用時の人員貨物需要や創設で関係した陸軍施設 順序は軍用津田沼駅から工兵学校駅鉄道第二連隊<営>(旧・鉄道連隊第三大隊<営>) 現・千葉工業大学、他 鉄道第二連隊<作業場範囲> 現・習志野郵便局、他 鉄道第二連隊<材料工廠範囲> 現・新京成電鉄新津田沼駅、他 騎兵学校(戦後・GHQ接収米陸軍第七騎兵連隊駐屯地) 現・陸上自衛隊習志野駐屯地 薬園台廠舎 現・千葉県立薬園台高等学校、他 習志野原演習場<中央範囲> 現・陸上自衛隊習志野演習場、他 習志野原演習場<北側範囲> 現・習志野台団地、他 無線送信所 現・船橋市立三咲小学校 藤ヶ谷飛行場(戦後・GHQ接収米陸軍航空軍白井基地-在日米空軍白井基地) 現・海上自衛隊下総航空基地 松戸飛行場<管理施設範囲>(旧・逓信省高等航空機乗員養成所) 現・陸上自衛隊松戸駐屯地、他 松戸飛行場<滑走帯範囲> 現・松飛台工業団地、他 八柱演習場 現・稔台工業団地、他 胡録台作業場 現・住宅地 工兵学校 現・松戸中央公園、他 江戸川作業場<架橋演習場> 現・松戸市立中部小学校、他 備考松戸線は軌道の湾曲が多く、目標路線長45kmを満たす軌道とするための意図的な迂回とされるが、松戸線単独では28.5kmである。松戸線は戦時想定で構築訓練用の軌道が多く、低湿地や急勾配の回避と既存鉄道や道路の交差対策と橋梁構築等で、急旋回や迂回の軌道が多数存在した。 一部区間には訓練用の1067mmと1425mmの両用軌道が存在したとされるが、定期便も運用された全通軌道は600mmの軽便鉄道である。 上記一部区間の両用軌道や後出する工兵学校から矢切への工兵学校支線は、演習時のみ設置や敷設と撤去を繰り返した非常設軌道ともされている。 戦後の本線軌道一部の鎌ヶ谷付近には、陸軍藤ヶ谷飛行場造成とGHQ接収で米陸軍航空軍白井基地へ改修時に、支線接続で運用した形跡がある。その藤ヶ谷飛行場造成時の支線としては、東武野田線への接続線である南向きの軌道が認められる。白井基地(現・下総基地)へ改修時の支線は、白井基地内への接続線である東向きで、東武野田線と低湿地を立体交差した軌道が認められる。 その後に本線軌道の大部分は京成電鉄の取得により新京成電鉄が開業し、大きく迂回していた部分の短絡等による廃止部分は道路等に転用された。 本線終点にあたる駅は工兵学校の東側に存在したが、南側の工兵学校正門は跡地にある松戸中央公園の門として現存する。同じ陸軍施設の鉄道連隊第三大隊営門とほぼ同様の造りである。 注記中の兵駅-矢切の軌道は、常設でなく工兵学校が演習時の敷設のみで撤去したとされ、記録はあっても官製地図や空中写真で確認はできない。この工兵学校支線は文献に記載の記録でも、矢切側の終点位置が上矢切か中矢切と下矢切の両者が存在し、軌道位置はやはり不明確である。 松戸線の大橋側にある胡録台分岐-中の兵駅(陣ヶ前)は、津田沼側からの距離は工兵学校側より長いが、後から低地の矢切や常磐線引込線への接続支線。昭和9年までに陣ヶ前の軌道も完成し演習時に千葉-津田沼-松戸45kmを走ったとされるが、大橋側(陣ヶ前)が本線終点であることまで意味してはいない。中の兵駅があった大橋を軍用軌道の終点と書いた資料もあるが、その大橋から矢切の軌道は手押軽便(工兵)で、大橋は手押支線と動力支線の終点である。 後年に測量の地形地図により、大橋から矢切や常磐線引込線への間で現在の柿ノ木台公園付近は、実際に機関運用が不可能な急勾配があったことが判明している。 また国土地理院公開の官製地図や空中写真により、当時の大橋(又は陣ヶ前)には、中の兵駅以外に陸軍も民間も施設や建物が全くなかったことが判明している。 松戸線は大正7年にほぼ完成と記載の碑文もあるが、本線終点である地は同年はまだ松戸競馬場で、工兵学校は大正8年新設であることが判明している。 松戸側の工兵学校-八柱演習場間の軌道敷設は大正13年の施工であり、津田沼側の津田沼-八柱演習場間の施工は昭和2年以降であることも判明している。
※この「松戸線」の解説は、「鉄道連隊演習線」の解説の一部です。
「松戸線」を含む「鉄道連隊演習線」の記事については、「鉄道連隊演習線」の概要を参照ください。
- 松戸線のページへのリンク