松戸線とは? わかりやすく解説

松戸線

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/01 15:12 UTC 版)

松戸線(まつどせん)

鉄道路線


松戸線

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/01 09:11 UTC 版)

鉄道連隊演習線」の記事における「松戸線」の解説

工兵学校先に構築した工兵学校八柱演習場間と、鉄道連隊第三大隊から昇格鉄道第二連隊構築した津田沼八柱演習場からなる路線。1932(昭和07)年完成1945昭和20)年廃止習志野線同様に日常物資運搬兵員輸送用定期便運用が行われたとされ、この松戸線では工兵学校への機材資材搬入行われていたとされる支線として、工兵学校鉄道第二連隊構築した胡録台分岐-中の兵駅と、工兵学校構築した中の兵駅-浅間台と中の兵駅-矢切の手軽便線がある。 路線津田沼松戸(28.5km) 担当主務鉄道第二連隊津田沼>、(旧・鉄道連隊分駐第三大隊昇格)、 参考昇格、1918(大正07)年 共同工兵学校松戸>、 参考創設1919大正08)年 本線軍用津田沼駅工兵学校 施工工兵学校八柱演習場1924大正13)年) -工兵学校 軍用津田沼駅八柱演習場(1927(昭和02年頃~1932(昭和07年頃) -鉄道第二連隊 運用鉄道第二連隊常設線の定期便支線胡録台分岐-中の兵駅 中の兵駅-浅間台手押軽便路線> (浅間台鉄道省線常磐線引込線所在) 中の兵駅-矢切手押軽便路線沿線演習構築定期便運用時人員貨物需要創設関係した陸軍施設 順序軍用津田沼駅から工兵学校鉄道第二連隊<営>(旧・鉄道連隊第三大隊<営>) 現・千葉工業大学、他 鉄道第二連隊作業場範囲> 現・習志野郵便局、他 鉄道第二連隊材料工廠範囲> 現・新京成電鉄新津田沼駅、他 騎兵学校戦後GHQ接収米陸軍第七騎兵連隊駐屯地) 現・陸上自衛隊習志野駐屯地 薬園台廠舎 現・千葉県立薬園台高等学校、他 習志野原演習場中央範囲> 現・陸上自衛隊習志野演習場、他 習志野原演習場北側範囲> 現・習志野台団地、他 無線送信所 現・船橋市立三咲小学校 藤ヶ谷飛行場戦後GHQ接収米陸軍航空軍白井基地在日米空軍白井基地) 現・海上自衛隊下総航空基地 松戸飛行場管理施設範囲>(旧・逓信省高等航空機乗員養成所) 現・陸上自衛隊松戸駐屯地、他 松戸飛行場滑走範囲> 現・松飛台工業団地、他 八柱演習場 現・稔台工業団地、他 胡録台作業場 現・住宅地 工兵学校 現・松戸中央公園、他 江戸川作業場架橋演習場> 現・松戸市立中部小学校他 備考松戸線は軌道湾曲多く目標路線長45kmを満たす軌道とするための意図的な迂回とされるが、松戸線単独では28.5kmである。松戸線は戦時想定構築訓練用軌道多く低湿地急勾配回避既存鉄道道路交差対策橋梁構築等で、急旋回迂回軌道多数存在した一部区間には訓練用1067mmと1425mmの両用軌道存在したとされるが、定期便運用され全通軌道は600mmの軽便鉄道である。 上記一部区間両用軌道後出する工兵学校から矢切への工兵学校支線は、演習時の設置敷設撤去繰り返した常設軌道ともされている。 戦後本線軌道一部鎌ヶ谷付近には、陸軍藤ヶ谷飛行場造成GHQ接収米陸軍航空軍白井基地改修時に支線接続運用した形跡がある。その藤ヶ谷飛行場造成時の支線としては、東武野田線への接続線である南向き軌道認められる白井基地現・下基地)へ改修時の支線は、白井基地内への接続線である東向きで、東武野田線低湿地立体交差した軌道認められるその後本線軌道大部分京成電鉄取得により新京成電鉄開業し大きく迂回していた部分短絡等による廃止部分道路等に転用された。 本線終点にあたる駅は工兵学校東側存在したが、南側工兵学校正門跡地にある松戸中央公園の門として現存する。同じ陸軍施設鉄道連隊第三大隊営門とほぼ同様の造りである。 注記中の兵駅-矢切軌道は、常設でなく工兵学校演習時の敷設のみで撤去したとされ、記録はあっても官製地図空中写真確認できない。この工兵学校支線文献記載記録でも、矢切側の終点位置上矢切中矢切下矢切両者存在し軌道位置はやはり不明確である。 松戸線の大橋側にある胡録台分岐-中の兵駅(陣ヶ前)は、津田沼側からの距離は工兵学校側より長いが、後から低地矢切常磐線引込線への接続支線昭和9年までに陣ヶ前の軌道完成し演習時に千葉津田沼松戸45kmを走ったとされるが、大橋側(陣ヶ前)が本線終点であることまで意味してはいない。中の兵駅があった大橋軍用軌道終点と書いた資料もあるが、その大橋から矢切軌道手押軽便工兵)で、大橋手押支線動力支線終点である。 後年測量地形地図により、大橋から矢切常磐線引込線への間で現在の柿ノ木公園付近は、実際に機関運用不可能な急勾配があったことが判明している。 また国土地理院公開官製地図空中写真により、当時大橋(又は陣ヶ前)には、中の兵駅以外に陸軍民間施設建物全くなかったことが判明している。 松戸線は大正7年にほぼ完成記載碑文もあるが、本線終点である地は同年はまだ松戸競馬場で、工兵学校大正8年新設であることが判明している。 松戸側の工兵学校八柱演習場間の軌道敷設は大正13年施工であり、津田沼側の津田沼八柱演習場間の施工昭和2年以降であることも判明している。

※この「松戸線」の解説は、「鉄道連隊演習線」の解説の一部です。
「松戸線」を含む「鉄道連隊演習線」の記事については、「鉄道連隊演習線」の概要を参照ください。

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