海兵51期
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稲葉は愛知県出身で海軍兵学校に進み、海兵51期として卒業した。海兵51期は、八八艦隊計画実現に備えた300人クラスとして293名が入校したが、ワシントン会議による軍縮の影響で自主的な退校が許され、40名近くが退校している。卒業生は255名で稲葉の卒業席次は下位であった。練習艦隊では「磐手」 乗組みとなり、米内光政艦長のもとで実務訓練を受ける。「磐手」乗組み候補生には、51期首席で海軍甲事件で戦死する樋端久利雄などがいた。この練習艦隊は日本近海航海を行っている最中に関東大震災の救護任務に就き、その任を解かれた後 豪州方面で遠洋航海を行った。
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海兵51期
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「横田稔 (海軍軍人)」の記事における「海兵51期」の解説
横田は岡山県出身で、海軍兵学校へ進み海兵51期として卒業した。席次は255名中60番。練習艦隊では「浅間」乗組みとなり、米村末喜艦長、安田義達指導官附らに実務訓練を受ける。「浅間」乗組み候補生には、戦後『海上護衛戦』を著す大井篤、最後の駐米武官補佐官実松譲などがいた。日本近海で航海を行っている最中に関東大震災が発生したため救護任務に従事。その後、豪州方面への遠洋航海を行った。
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