横田稔 (海軍軍人)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/01 17:32 UTC 版)
横田 稔(よこた みのる、1903年(明治36年)4月1日 - 没年不明)は、日本の元海軍軍人で戦後、高校教師、宣教師になった人物。空母「サラトガ」、軽巡洋艦「ジュノー」を雷撃し、前者を3ヶ月間戦線離脱させ、後者を撃沈した「伊26」潜水艦長である。最終階級は海軍大佐。戦後は長谷川と改姓。高校教師として教鞭をとり、またキリスト教宣教師となった[1]。
注釈
出典
- ^ a b c d e f g h i 『艦長たちの太平洋戦争 続篇』「地の軍人」
- ^ 『海軍兵学校沿革』
- ^ a b 『米内光政秘書官の回想』13-18頁
- ^ 『帝国海軍士官入門』159頁
- ^ 『艦長たちの軍艦史』405頁
- ^ 『太平洋戦争航空史話(上)』100-101頁
- ^ 『潜水艦隊』176-180頁
- ^ Naval History & Heritage Command 『history.navy.mil: USS Juneau』 2012年7月3日閲覧
- ^ 『日本海軍潜水艦物語』73-77頁
- ^ a b 『艦長たちの軍艦史』414頁
- ^ 『伊号潜水艦―比類なき発展を遂げた艦隊随伴用大型潜水艦の全容』P182
- 1 横田稔 (海軍軍人)とは
- 2 横田稔 (海軍軍人)の概要
- 3 参考文献
- 横田稔 (海軍軍人)のページへのリンク