横田空域
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/13 03:39 UTC 版)
横田空域(よこたくういき、英語: Yokota Airspace[1])は、東京都、埼玉県、群馬県、栃木県、福島県、新潟県、長野県、山梨県、静岡県、神奈川県の1都9県にまたがる高度12,000フィート(約3,700m)から最高23,000フィート(約7,000m)の空域の通称。正式名称は横田進入管制区(よこたしんにゅうかんせいく)。横田飛行場(米空軍・空自横田基地)に対して設けられた進入管制区であり、2024年現在、在日米軍がこの空域の管制業務を行っている。
概要

計器飛行方式(IFR)による出発機・到着機が多い空港には、安全のために「進入管制区」が設けられる。2023年現在、日本には30か所の進入管制区が設けられており、日本国内の進入管制区は国土交通省管轄が14か所、防衛省(自衛隊)管轄が14か所、米軍管轄が横田進入管制区と岩国進入管制区の2か所となっている。このうち横田飛行場に対して設けられているのが横田進入管制区(横田ラプコン[注釈 1])、通称「横田空域」[2]であり、エリア内に存在する飛行場(横田基地、厚木海軍飛行場、キャンプ座間、入間基地、立川飛行場、調布飛行場)を発着する航空機と空域を通過する航空機に対して米軍が航空管制を行っている。
日本国内の他の空域では国土交通省あるいは自衛隊の指示を受ける必要があるが、横田空域を飛行する航空機は原則として米軍の指示を受ける必要がある[3][4][注釈 2]。
横田空域の歴史と段階的返還
1975年(昭和50年)の日米合同委員会による「航空交通管制に関する合意」において、「日本政府は、米国政府が地位協定に基づきその使用を認められている飛行場およびその周辺において引続き管制業務を行うことを認める」とされた。これにより、日本占領時代に開始された米軍による管制が継続されることになった[5]。
1992年(平成4年)6月、羽田空港の拡張に対応するため、空域のうち10%(日野市から三浦半島にかけての南側一部)が削減(返還)された[6]。
2007年(平成19年)5月、横田空域管制施設に日本側(自衛隊)の管制官が併設されるようになった[6]。
2008年(平成20年)9月25日、南側の一部(20%)が返還された。これに伴って羽田空港の出発経路が改訂された。国土交通省によれば、行先によって異なるものの、最大で5分、平均で3分の時間短縮効果があるという[7]。
2019年(令和元年)、東京オリンピック・パラリンピックの開催に伴い羽田空港の旅客数が増大すると見込まれたことにより、発着経路の見直しが行われた。この際、都心上空を経由して北から羽田に進入する経路を設定するには横田空域内を通過する必要があり、当初米軍は難色を示していた。日本側が「新ルートを設定できなければ、オリンピックの運営に支障が出かねない」と理解を求めた結果、最終的にはアメリカ側が受け入れることになった[8][注釈 3]。これにより、新ルートは横田空域内を通過するものの、国土交通省が管制を行うようになっている[9]。
民間機の飛行と影響
横田空域は「アメリカ軍が占領している禁止空域や制限空域である」と誤解されることがあるが、それは事実ではない[10]。進入管制区は米軍の排他的使用が認められる空域ではなく[11]、飛行禁止区域でもないため、日本の民間航空機も飛行可能である。
横田空域内を通過する民間機
横田空域は管制空域上、「クラスE」に分類されている。そのため、有視界飛行方式で飛行する航空機(消防庁や警視庁のヘリコプター、各種事業用航空機など)はクリアランスなしで飛行が可能であり、これはアメリカ軍の許可なく飛行できることを意味する[10]。例えば、日本のマスコミによる報道ヘリコプターが横田基地上空を飛行・空撮する例[12][13]や、グライダーなど有視界飛行で運航される小型航空機が横田の管制と連絡[注釈 4]を取って飛行する例がある[14]。
民間旅客機など、計器飛行方式で飛行する航空機は事前の許可が必要になるが、これは計器飛行方式であれば他の空域でも同様のことであり、横田空域に限った話ではない[10]。
また、事前の協議や調整によって、横田空域内に民間機の飛行経路が設定されることもある。例えば、2008年に空域が削減される前の時点でも、羽田発の大阪(伊丹・関西)行きの定期便が横田空域内を通過していた[15]ほか、現在も調布飛行場を発着する東京都島嶼部への定期便(IFRによる運航)[16]や前述の羽田空港着陸便が横田空域を飛行している。
運航への影響
しかしながら、横田空域が民間機の運航に少なからず影響を与えてきたのは事実である。例えば、飛行経路の設定には米軍との協議が必要であるため、従来の羽田発の民間機は東京湾上空で高度を稼いだ上で横田空域の上空を飛行し、空域内の飛行を避けていた。定期便を運航する日本の航空会社による任意の業界団体である定期航空協会は、2006年5月に横田空域の早期返還に関する要望を外務大臣、防衛庁長官、国土交通大臣、内閣官房長官に提出している[17][18]。これらの状況を踏まえ、2006年(平成18年)には当時の小泉政権が「横田空域の存在が民間航空交通に影響を与えている」として、「安全かつ円滑な航空交通管制を実施するためには、少なくとも横田空域の削減が必要である」と答弁している。東京都も同様の認識を示し、日本による一体的な航空管制が必要であるとして、国に空域の全面返還を働きかけた[19]。その後、2007年には横田ラプコンへ航空自衛隊の管制官併置が開始されたほか、2008年には空域の一部削減も実施された[15]。
また、千葉県はWebサイトにて、羽田空港への着陸機が千葉県上空を飛行する理由として横田空域の存在を挙げている[20]。
元航空管制官の園山耕司によれば、2010年時点で羽田空港から西に向かう出発経路は横田空域の上あるいは中を通過できるため、問題はほとんどないという。ただし、西からの到着経路に関しては横田空域の南辺外を回って、東京湾の入口と房総半島南端の狭隘域から進入する必要があり、依然として難点が残っているとしている[21]。
空域内での訓練
前述の通り、横田空域は進入管制区であり、訓練用の空域ではない。しかし、アメリカ軍がC-130輸送機やヘリコプターの周回飛行を行った記録があり、毎日新聞は実態としては訓練の場として活用されている可能性があると指摘している[22]。
返還に関する政治の動き
日本政府は再三にわたって返還を求めており、「日本による一体的な航空管制が行われるべきである」との姿勢を示している[19][11]。また、東京都は横田基地の軍民共用化を推進するとともに、横田空域の全面返還を国に働きかけている[23]。
日本共産党は「日本の空の主権が侵害されている」[24]として全面返還を求めている[25]。立憲民主党は空域の縮小を求めている[26]。れいわ新選組は「管制権、航空法など国内法の適用など」を求めるとしている[27]。
返還に伴う新たな問題
横田空域の削減・返還によって羽田空港の発着経路の自由度が高まるということは、これまで横田空域の下に存在していた地域の上空に民間定期便の飛行ルートが設定可能になるということでもある。千葉県や大田区など、横田空域の返還(削減)によって新たに設定されたルート下に位置する自治体では、これに伴って発生する騒音問題から、ルートの撤回や見直しを求める声もある[28][29]。
脚注
注釈
- ^ Radar Approach Controlの略
- ^ もう1か所の米軍管轄である岩国進入管制区も同様である
- ^ この交渉に際して、経路変更によって増加した羽田空港の発着枠の半数がアメリカ路線に割り当てられており、通過を認めた配慮ではないかとの指摘があるとNHKなどから指摘されている。
- ^ この目的は「トラフィック状況の確認」とされており、管制上の指示を受けるわけではない
出典
- ^ 「横田空域」 。コトバンクより2024-1013閲覧。
- ^ (解説)横田空域 - 防衛省 情報検索サービス
- ^ “航空管制業務について”. 国土交通省. 2023年7月21日閲覧。
- ^ “日本の空の概要”. 国土交通省. 2023年7月21日閲覧。
- ^ “航空交通管制(改正)”. 外務省 (1975年6月). 2023年7月21日閲覧。
- ^ a b “平成30年度版 羽村市と横田基地”. 羽村市企画総務部企画政策課. p. 16-28 (2019年3月). 2023年7月21日閲覧。
- ^ “横田空域の一部削減に伴う羽田空港出発経路の設定について”. 国土交通省航空局 (2008年7月). 2023年7月21日閲覧。
- ^ “「羽田国際線増便と横田空域」(キャッチ!ワールドアイ)”. NHK (2019年4月3日). 2023年7月21日閲覧。
- ^ “羽田新ルート 80デシベルでも住宅の防音工事は補助の対象外、国の「裏技」が明らかに”. 東京新聞 (2020年9月27日). 2023年7月21日閲覧。
- ^ a b c 細谷泰正 (2023年8月1日). “横田基地の上空は本当に“アメリカ”? 広大な「横田空域」を民間定期便が毎日横断できるワケ”. 乗りものニュース. 2024年9月22日閲覧。
- ^ a b “第208回国会 国土交通委員会 第11号(令和4年4月22日(金曜日))”. 衆議院. 2023年7月21日閲覧。
- ^ “米軍戦略爆撃機B-52が横田基地に飛来 エンジントラブルで着陸か”. 日テレNEWS (2023年7月12日). 2023年7月14日閲覧。
- ^ “一時警戒 横田基地に“爆破予告” 退避騒動中に…滑走路に民間機”. テレ朝NEWS (2023年6月15日). 2023年6月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年7月14日閲覧。
- ^ “妻沼滑空場周辺の空域(解説)”. 公益財団法人日本学生航空連盟 (2023年4月1日). 2023年7月21日閲覧。
- ^ a b “横田空域”. 防衛省. 2023年7月21日閲覧。
- ^ “調布飛行場、6月18日からIFR運航が可能に”. Flyteam (2013年6月18日). 2023年7月14日閲覧。
- ^ 横田空域の早期返還に関する要望について(要望・資料編) | 定期航空協会
- ^ 横田空域の民間航空機利用について 空域の早期返還
- ^ a b “東京都の取組み”. 東京都都市整備局. 2023年7月21日閲覧。
- ^ “羽田再拡張時の飛行ルートについて”. 千葉県 (2021年1月27日). 2023年7月21日閲覧。
- ^ 園山耕司『くらべてわかる航空管制』秀和システム、2011年、190-191頁。
- ^ “米軍が航空管制を握る首都圏の「横田空域」 返還交渉は停滞”. 毎日新聞 (2024年4月11日). 2024年9月23日閲覧。
- ^ “横田基地の軍民共用化に向けて”. 東京都 (2017年4月). 2024年9月22日閲覧。
- ^ “なんだっけ 「横田空域」って?”. 日本共産党 (2020年1月12日). 2023年7月21日閲覧。
- ^ “横田空域 米軍支配排し全面返還を急げ”. 日本共産党 (2006年11月4日). 2023年7月21日閲覧。
- ^ “【政調】外交・安保・主権調査会「外交・安保政策のアップデートに関する取りまとめ(中間報告)」を公表”. 立憲民主党 (2022年6月3日). 2023年7月21日閲覧。
- ^ “11真の独立国家のための安全保障政策(れいわ外交政策)”. れいわ新選組. 2024年9月22日閲覧。
- ^ “羽田再拡張後の飛行ルートについての申し入れ”. 千葉県 (2023年3月27日). 2023年7月21日閲覧。
- ^ “「横田空域の壁が1万2フィートから9千フィートに下がって大混乱した大田区、今度は3千フィートですか!?」”. 奈須りえ(大田区議会議員) (2017年6月28日). 2023年7月21日閲覧。
関連項目
外部リンク
横田空域
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横田進入管制区、通称「横田空域」の1都8県(北は新潟県、南は伊豆半島中部まで、東は東京都の中野区―上板橋と等々力を南北に結ぶ線―まで、西は静岡県中部まで)に及ぶ、広大な空域の航空管制は本飛行場で行われている。 横田ラプコン(RAPCON: Radar Approach Control、レーダー進入管制の略)とも呼ばれる、この空域(2016年現在、最高高度は23,000フィート=約7,010メートル以下)はアメリカ空軍の管制下にあり、当該空域を飛行する場合は民間航空機であっても、アメリカ空軍所属航空管制官の指示を受けなければならず、アメリカ軍機の航行が優先される。 しかし在日米軍との事前協議によって、飛行計画経路を設定・調整する必要があり、手続きが煩雑である事情から、東京国際空港や近傍の成田国際空港を発着する民間航空機の多くは、同空域を垂直軸または水平軸で避けるルートで飛行している。なお、民間航空機に計器飛行が義務化される以前は、有視界飛行で同空域を突っ切ることによる時短競争が航空会社・パイロット間で行われており、東京 - 大阪で30分と宣伝されていた。 アメリカ軍から東京国際空港が返還された1952年(昭和27年)当時からそのような状況下にあったが、近年は航空機の性能向上を背景として、短距離を除く国内線ジェット旅客機の巡航高度は8,000m - 12,000mであり、国際線等の長距離路線はさらに高高度となっており、後述の空域一部削減の後は、民間ジェット航空機の飛行に大きな影響を及ぼすものではなくなっている。 2019年1月30日、野上浩太郎官房副長官(当時)が羽田空港への飛来便が「横田空域」を一時的に通過できるようになり、その通過する時間帯は日本側が管制を行う日米の交渉が基本合意に達したと発表した。この合意により羽田空港の発着枠が6万回から9万9千回と50%以上の増加となり、また飛行時間の短縮にもなった。 一般的に短距離を除くジェット旅客機は離陸時に急上昇して高度を稼ぎ、空気抵抗の低い中高高度成層圏を巡航し、着陸時にゆっくりと降下するのが通例である。巡航高度が低いほど大気の空気抵抗が増し、燃料費が余計に掛かることになる。さらに加えて、東京国際空港はオープンパラレルで多数の飛行機が連続して着陸する中、離陸便(西行き国内線)は騒音問題等の絡みから狭い東京湾周辺で一気に2,700m程度まで高度を上げており、そこから西方の横田空域に向けて飛行しても、後述の2008年空域返還により階段状に空域が削減されているため、現状では本空域の影響はほとんど無い。また、東京国際空港・成田国際空港ともに日本国内有数の発着数を抱える過密路線であり、離陸・着陸相互間を含む航空路の交通整理および地上の騒音問題の軽減など必要上、水平軸で回り込む進入・進出路を取る必要があるのであり、このような事情に横田空域の存在が影響する事はほとんど無い。 同空域は、1992年(平成4年)に約10%、2008年(平成20年)9月25日に約20%が返還され、現在は高度約7,000mから約2,400mの、概ね西高東低の6段階の階段状となっており、特に西日本方面との航路が集中する南半分(現在、東京国際空港発の航路が集中)については、東部2,450mから西部4,900mと、比較的緩やかな階段状となっている。 2008年(平成20年)の一部返還により、東京国際空港を利用する民航機が、横田空域を迂回したり同空域を越すための上昇率が減るため、年間約180億円(東京国際空港の再拡張前は130億円)の経済効果があると試算されている。約180億円の内訳は、ジェット燃料費削減による効果が約66億円分、飛行時間短縮による運航コスト低減効果が36億円分、旅客利便性向上効果が77億円分とされる。要求上昇率の緩和は、航路距離にもよるがジェット旅客機について、ほとんど横田空域の存在を無視できるようになった。実際に、横田空域の空域外上空を飛び越すルートの設定が大幅に増え、これにより東京国際空港の年間発着回数は約296,000回から407,000回へと増加する。 なお、東京国際空港の発着経路や発着回数は、横田空域の存在だけでなく、成田空港発着機も含めた航空管制上の航空路容量確保、東京国際空港周辺の騒音問題など、複雑な条件が絡む。また羽田進入航空路輻輳のため設定航空路より実際の飛行経路が大幅迂回となる事も日常であり、横田空域の存在による実質的影響も小さい。 また時間短縮効果は、羽田出発便のうち中国地方・九州北部行きで3分、関西地方・九州南部・沖縄行きで約2分、東京国際空港到着便では2分以上とされる。 なお、横田空域西部は、日本アルプスや富士山、箱根などの標高の高い山脈が連なり、偏西風が山を越えて生じる乱気流や山岳波があるため、横田空域がそもそも存在しない場合でも航路上迂回する必要があり、前述の通りゆっくりと降下する着陸時のルートは南側海上寄りに設定されている。なお、富士山上空では標高10,000m(約32,800フィート)程度まで山岳波の影響が及ぶこともあり、富士山付近では過去に複数の空中分解事故(英国海外航空機空中分解事故、セスナ機の墜落事故など)が発生している。 それとは反対に、横田飛行場を南から離着陸する軍用機等は、空域一部返還後、増加した東京国際空港発着機を避けるため、長い距離を低高度で飛行する必要があることから、飛行経路周辺では騒音被害の悪化を招いている。
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