除籍後とは? わかりやすく解説

除籍後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/06 19:40 UTC 版)

しらね (護衛艦)」の記事における「除籍後」の解説

XASM-3の実爆試験用艦型標的(実艦的)となる予定だったため、舞鶴東港Gブイ係留保管されていたが、2015年11月14日所要改造を施すためJMU因島工場向けて曳航され、舞鶴を後にした。 艦型標的改造工事終えた元「しらね」は、2017年3月江田島まで曳航されしばらく係留された後、同年4月28日、再び最終母港であった舞鶴入港した以降実爆試験終了するまで、舞鶴クレインブリッジ付近岸壁係留しており、「海軍ゆかりの港めぐり遊覧船」(舞鶴港遊覧船)の、「引き揚げコース」(14:00発)の便で間近に見ることができた。 XASM-3標的として若狭湾数回試験受けた後、解体地へ向かうために9月4日舞鶴港出港し9月7日門司港入港したこの際関門海峡通過時に潮に流された元しらねは26灯浮標衝突し灯浮標沈没した海上保安庁出動し門司港着岸後、調査行った門司港出港後、再び江田島係留地係留された。10月31日艦型標的として売り払われ同日より解体開始。 なお、本艦艤装品の一部救命浮環艦歴銘板等)が、舞鶴地方総監部内の委託食堂「しらね食堂店内展示されているほか、同店の食卓椅子は、本艦司令公室士官室、先任海曹室にて実際に使用されていた椅子そのまま使用している。 主錨(前錨)が、舞鶴基地隣接する赤れんがパーク駐車場」の一角保存展示されている。

※この「除籍後」の解説は、「しらね (護衛艦)」の解説の一部です。
「除籍後」を含む「しらね (護衛艦)」の記事については、「しらね (護衛艦)」の概要を参照ください。


除籍後

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/01 03:36 UTC 版)

しらせ (砕氷艦・初代)」の記事における「除籍後」の解説

2008年10月24日政府南極地域観測統合推進本部南極観測船「しらせ」展示保存断念し解体する発表した。「しらせ」は南極観測船もとより自衛隊見渡して過去になかった規模大型艦退役であり、当然ながらそのため維持展示にも従前観測船以上の費用掛かる事が見込まれる事から引き取り手折り合い付かず、また自衛艦のため海上保安庁への移管海外輸出難しい事から、スクラップとして処分される事となっていた。 ただし、政府推進本部スクリュープロペラ・いかり・艦名看板など少なくとも17点部品保存し2009年秋から海上自衛隊佐世保史料館一般展示をする準備進めていた。また、船内使われソファー椅子一部名古屋港展示されている「ふじ」転用されている。 昭和期南極観測隊訓練などで縁のある北海道稚内市保存名乗りを上げており、ホームページなどを通じて誘致キャンペーン行っていたが財政難のため2007年夏の展示保存希望する自治体募集には正式に応募せず、これも立ち消えとなった2008年12月以降解体着手する予定だったが鉄屑価格下落影響から解体先送りとなり、2009年6月19日政府南極地域観測統合推進本部保存活用向けて買い手再度公募することを決定したその時点では海上自衛隊横須賀基地内で係留されていた。

※この「除籍後」の解説は、「しらせ (砕氷艦・初代)」の解説の一部です。
「除籍後」を含む「しらせ (砕氷艦・初代)」の記事については、「しらせ (砕氷艦・初代)」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「除籍後」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「除籍後」の関連用語

除籍後のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



除籍後のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaのしらね (護衛艦) (改訂履歴)、しらせ (砕氷艦・初代) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS