現存する車両
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 18:15 UTC 版)
多くの車両は部分廃止に伴う除籍後に下津井工場で解体処分されたため、現存する車両は少ない。全線廃止時に残っていた車両の一部も解体されたが、旅客用車8両と貨車3両は前述の下津井駅構内にあった温室風の上屋内に、廃止後に新たに敷かれた線路に載せて保存されている。
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現存する車両
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/22 06:14 UTC 版)
前述のとおり、大井川鐵道でサハ1426から改造されたナロ80 2が現役である。内装は原型を留めていないが、2021年1月現在、当系列唯一の現役車両である。
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現存する車両
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/30 12:53 UTC 版)
車台番号 305004、ボービントン戦車博物館 終戦時にドイツ国内のハウシュテンベック実験場でイギリス軍により接収された車両で、ポルシェ式サスペンションと18枚歯の起動輪、排気管カバーを持ちツィンメリットコーティングの施された初期の生産車である。 車台番号 305020、アメリカ陸軍兵器博物館 (アバディーン戦車博物館) 1945年3月にドイツ西部のラインラント=プファルツ州、ノイシュタット・アン・デア・ヴァインシュトラーセにおいてアメリカ軍第10機甲師団(英語版)と交戦し鹵獲された車両で第653重戦車駆逐大隊所属の331号車(第3中隊、第3小隊の1号車)であった。本車は1944年10月の生産車で、ヘンシェル式サスペンションと9枚歯の起動輪を持つ。 車台番号 305083、クビンカ戦車博物館 1945年5月にオーストリア西部でソ連軍に鹵獲された第653重戦車駆逐大隊の所属車両で、1945年4月に生産された後期型に相当する。片側6箇所の予備履帯装着ラック、簡易クレーン用台座(ピルツ)、大型牽引装置、リブ付きのフロントフェンダーといった装備を持つほか、サイドフェンダーが装備された状態で展示されている。 ボービントン戦車博物館の展示車両。 アメリカ陸軍兵器博物館の展示車両。 クビンカ戦車博物館の展示車両。
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現存する車両
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 15:12 UTC 版)
P34/2 1977年にコジマエンジニアリングが研究用として購入。その後ドニントン・グランプリ・コレクションに保存。ロジャー・ウィルズレーシングのニュージーランド人オーナー、ロジャー・ウィルズのドライビングでシルバーストンクラシックやグッドウッドなどのヒストリックレースイベントに出場。また、2013年の映画「ラッシュ/プライドと友情」では76年風のカウリングを装着し、No.4のカラーリングで出演した。 2018年11月、ドニントン・グランプリ・コレクション閉館に伴い、現在はピエルルイジ・マルティニがオーナーとなる。当初フルカウル、フロントオイルクーラーなど77年仕様に近い状態であったが、オイルクーラー移設をはじめ、カウリングやフロントスタビライザー位置変更など76年に準じた仕様に変更している。 P34/3-2 76年カラーリング、モックアップエンジンに変更されてタミヤ本社(静岡市)で展示されている。タミヤ・モデラーズギャラリー(2017年)、鈴鹿サウンドオブエンジン(2019年)で公開展示された。 P34/4 1977年ブラジルGPでのクラッシュ後、カールケンプの実験シャシとして使用された後アメリカに渡り、リビルドされラグナ・セカで2010年8月開催のRolex Monterey Motorsports Reunionにクレイグ・ベネットのドライブで出場。その後、ジョディ・シェクターが所有。 P34/5 暫くの間イタリア人ピエトロ・ラッティが所有し、ムジェロ・ヒストリック・フェスティバルなどのイベントに、マウロ・パネのドライブで参加。その後、2017年にピエルルイジ・マルティニに譲渡。ヒストリック・ミナルディ・デイや鈴鹿サウンドオブエンジンなどでデモンストレーション走行をしている。 P34/6 ドイツ人コレクター所有の後、1997年12月、サイモン・ブルが購入し、1999年、マーティン・ストレットンのドライブでFIA-TGP(サラブレッド・グランプリ)チャンピオンシップに出場。2000年にはシリーズチャンピオンを獲得する。映画「RUSH」では76年風カウルを装着しNo.3のカラーリングで登場。その後リシャール・ミルが所有し、2017年2月にはパリで開催されたレトロモービルに77年のELF/FNCBのカラーリングに変更され展示されている。 P34/7 原田コレクション(河口湖自動車博物館)で過去に展示、イベント走行も行なっていた。
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現存する車両
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/03 14:50 UTC 版)
T-34は大量に生産されたため、半世紀を経た現在でも数百輛程度が現存している。第三世界の軍において第二線級の兵器として保管されている車両(主にT-34-85)は、21世紀に入った現在でも数多くあると見られている。 2010年のモスクワにおけるロシア対ナチス・ドイツ戦勝65周年パレードでは現存するT-34やSU-100などがパレードに参加した。2015年10月に北朝鮮の平壌で開催された朝鮮労働党70週年記念の軍事パレードでも、起動輪と履帯をT-54/55のものに換装したT-34-85の近代化改修型が参加している。 より古いT-34-76に関しては、現存する有名なものとしてはアメリカ・メリーランド州アバディーンのアメリカ陸軍兵器博物館が所蔵する1941年型のT-34がある。これは旧西側に現存する車輛としては最古級のものだった。更に古い76mm L-11砲を搭載した1940年型のT-34は、ロシア、ベラルーシに少なくとも各1輌、1941年型および1941年戦時簡易型は最近になって昔の戦場から回収されたものを含め少なくとも10輌以上が現存する。フランスのソミュールにある「Musée des Blindés(ソミュール戦車博物館)」では2輛のT-34を保有しており、その内の一輛は完全に稼働する状態で、それは夏の「Carrousel」戦車走行展示会において、走行する様子を展示される。フィンランドが継続戦争中に鹵獲した1941年型(Ps.231-1)も走行可能な状態となっている。ナット砲塔を搭載した1942年型・1943年型はさらに多く、走行可能状態までレストアされたものも多い。 T-34の耐久性は、最近の修復作業においても示された。エストニアで56年間にわたって沼の底にあった1943年型のT-34が、2000年に復活した。その戦車はドイツ軍によって鹵獲され、退却中のドイツ軍が使用したが、その燃料が切れた所でドイツ軍が沼の中へ投棄したものであった。油漏れ・錆・その他水による機械系統への損傷の徴候は見られなかった。エンジンは完全に稼働する状態に回復した。 2019年1月10日にはラオスで稼働状態だった30輌のT-34/85が退役し、協定によりロシアに返還されると報じられた。戦後にチェコスロバキアで生産・輸出された型式でベトナムに納入後、ラオスに引き渡された物という。ロシアでは博物館展示のほか、戦争映画や軍事パレードで用いられる予定。その後2020年6月24日にロシアの戦勝記念パレードで自走する大量のT-34-85が各メディアで報道された。
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