戦後、および現存車両
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 23:16 UTC 版)
「カール自走臼砲」の記事における「戦後、および現存車両」の解説
前述の通り、カール自走臼砲は1945年3月から4月にかけて戦闘の過程で放棄・処分され、3月21日から4月11日の間(正確な日時は不明)にはヒラースレーベンにてII号車“ヴォータン(エーファ)”と大破状態のV号車“ロキ”がアメリカ軍に、I号車“バルドル(アダム)”とIV号車“オーディン”は4月20日にユーターボーグ近郊でソビエト軍に捕獲されている。この他、ユーターボーグで爆破処分された残りの3輌も、VII号車“フェンリル”がアメリカ軍に、III号車“トール”とVI号車“ツィウ”がそれぞれソビエト軍に捕獲・接収された。 アメリカ軍は捕獲したカール自走臼砲を本国に輸送し、アバディーン性能試験場で各種試験を実施したが、その後については詳細は不明である。しかし、アバディーン試験場附属のアメリカ陸軍兵器博物館にカール自走臼砲は現存しておらず、試験場の敷地内でも発見されていないことから、試験後にスクラップとして処分されたと見られている。 ソビエト軍に鹵獲された車両群はモスクワ近郊のクビンカにある装甲車両中央研究所(НИИ БТ)に移送され、各種試験の後、研究所の附属展示施設で保管・展示されていた。グラスノスチにより同施設が公開された際、唯一完全な状態で展示されていた車輌はソビエト軍による記録からVI号車“ツィウ”と確認されたが、後にレストアが行われた際に、クビンカ移送後に塗装された塗料を剥がしたところ、“アダム”の車輌名が書かれたオリジナルの塗装が発見され、更に各部にI号車の名が刻まれた銘板が確認された。 これにより、「これまでVI号車“ツィウ”とされたものはI号車“アダム”の誤りであった」とされたが、これについてはいくつかの論争があり、「記録上の誤り」説、「ドイツ軍により共食い整備が行われた」説、「損傷した車両群をソビエト軍が接収した後に組み合わせて完全な1輌として復元した」説など、諸説ある。 各説ともに確定的な資料は発見されていないものの、この車輌は現在では“Adam”の車輌名が描かれてクビンカ戦車博物館にて展示されている。
※この「戦後、および現存車両」の解説は、「カール自走臼砲」の解説の一部です。
「戦後、および現存車両」を含む「カール自走臼砲」の記事については、「カール自走臼砲」の概要を参照ください。
- 戦後、および現存車両のページへのリンク