戦後、「民家の向井」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/07 10:32 UTC 版)
戦争末期、爆撃のためしばしば防空壕に逃れる生活をするなか、ふと手にとった図録から民家の美しさに気付き、戦火のなか失われようとする美しいものを絵に残したいという思いを強くしていった。終戦後の1945年(昭和20年)11月、行動美術協会を設立。同年秋、新潟県川口村で取材した作品「雨」(個人蔵)を制作、以後生涯の主題として草屋根の民家を描き続ける。しかし、初期の頃は労働や生活の現場を画面に取り込んだ作風を見せ、いかにも潤吉らしい民家作品としての作風が確立するのは昭和30年代に入ってからのようである。 1993年(平成5年)5月、世田谷区に自宅を兼ねたアトリエとその土地、ならびに所蔵の作品を寄贈、同年7月、世田谷美術館の分館として向井潤吉アトリエ館が開館する。1995年(平成7年)、急性肺炎のため自宅で逝去。93歳没。
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