戦後50年決議のいきさつとは? わかりやすく解説

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戦後50年決議のいきさつ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 07:05 UTC 版)

村上正邦」の記事における「戦後50年決議のいきさつ」の解説

1994年自社さ連立政権村山内閣成立する。翌1995年3月村上自民党参議院幹事長に就任する。この政権政策違い大きなガラス細工のような政権だった。社会党はすでに、安保自衛隊妥協し戦後50年不戦決議至上命題であった自民党にとってもこれは連立当たって合意事項だった。自民党決議推進派と慎重派割れていた。民間では「日本を守る会」「日本を守る国民会議」(のちの日本会議)が戦争謝罪決議反対署名集めていた。村上以外の党五役はいずれ決議賛成であった村上一人反対しており、加藤紘一政調会長らが妥協案を模索していた。 6月6日の夜、村上参議院幹事長室には椛島有三中川八洋筑波大学教授大原康男国学院大学教授ら、民族派幹部50人が応接間占領していた。加藤らの示す妥協案を村上民族派グループ示し、それが拒否される村上加藤らに伝えるという繰り返しだった。 「国会真ん中通路があるでしょ。左側参議院右側衆議院。その一番はしっこに、衆院自民党役員室がある。あの日19時ごろから会議始まったんだ。主にやりあったのは、加藤紘一野中広務。それから古賀(誠)さんもいた。あと、森喜朗ね。ずらっと衆院自民党連中がいる。で、僕は最初から『そんな謝罪ダメだ』『そんな文案じゃだめだ』と反対意見言いつづけた。」。 加藤らが最終的に示した案は「世界近代史上における数々植民地支配侵略的行為思いをいたし」という文言挿入しその上で我が国過去行った行為他国民とくにアジア諸国民に与えた苦痛認識し、深い反省の念を表明する」というものであった村上は、これなら日本が「植民地支配侵略的行為」をしたことを認めたことにはならない判断し幹事長加藤政調会長受け入れる意を伝えた散会した後、決議成文化したペーパー受け取り幹事長室に陣取る民族派グループ見せると、皆が「おかしいじゃないか」という。文面次のようになっていた。 「世界近代史上における数々植民地支配侵略的行為思いをいたし、我が国過去行ったこうした行為他国民とくにアジア諸国民に与えた苦痛認識し、深い反省の念を表明するとなっていた。 ペーパーにはいつの間にか「こうした」という言葉挿入され日本侵略戦争をしたことを認め文面になっていた。これに椛島中川らのグループ激怒し幹事長室は大騒ぎになった村上衆議院議決仕方がないが、参議院議決しないと約束してその場収めた村上約束守り、この決議案参議院では決議されなかった。 後日村上菅野完インタビュー答えて次のように語っている。「村山富市さんによく言うんだよ。俺が50年決議通さなかったから、あんたは村山談話出した。その村山談話こんなに話題になるんだから、あんたは俺に感謝しなきゃいけないと。そしたら村山さんも『そうだよなぁ』というんだ」。

※この「戦後50年決議のいきさつ」の解説は、「村上正邦」の解説の一部です。
「戦後50年決議のいきさつ」を含む「村上正邦」の記事については、「村上正邦」の概要を参照ください。

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