戦後―引退
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/29 14:25 UTC 版)
トレネには1939年10月から世界公演の予定があったが、戦争によって延期となっていた。戦後約10年間、トレネはアメリカ、カナダ、南米各国を公演して回り、彼の歌と曲は世界的にヒットする。1956年には日本公演も果たした。 1961年には3月と10月の二度にわたって「エトワール」でワンマン・ショーを開催、1963年には第一次世界大戦中の殺人鬼として知られたアンリ・デジレ・ランドリューをテーマにした「ランドリュ (Landru)」を発表して話題になる。 1967年、長年コロムビア所属だったトレネがバークレー・レコードと契約し、往年のヒット作と1960年代の新作を集めたアルバム(80300、日本バークレーSR251)が同年度ACCディスク大賞を受賞した。 1971年には15年ぶりに「オランピア」出演。1972年にはインド、オーストラリア、アフリカ、カナダ、北アメリカ各地で公演するなど、世界的人気を博したが、1975年に引退発表した。このときトレネは次のように語っている。 「青春の行き着く先は老廃。身を引くのは充実している間にするのが望ましい」 「40年間、シャンソンにすべてを捧げてきたが、ほかにしたいことが山ほどある。例えば旅行とか、読書とかね。それにそうだ。何もしないこともしてみたいものだよ」 1975年4月、「オランピア」でのリサイタルが公式の引退ステージだったが、実際には海外での「さよなら公演」が1979年11月まで行われた。この間、1977年4月のブールジュでのシャンソン祭典にも参加している。しかし、1979年に母親が亡くなると、これに衝撃を受けたトレネは世間との接触を避け、半ば隠遁生活を送るようになったという。
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