日本を守る会
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日本を守る会(にほんをまもるかい)は、1974年4月2日に設立された日本の政治団体である[1][2][3]。保守系宗教団体運動の合同化の先駆けと言われる[4]。日本青年協議会や生長の家学生会全国総連合と共に元号法制化運動を推進した[5]。1997年5月30日に「日本を守る国民会議」と合併し、「日本会議」に改組された[6]。
注釈
出典
- ^ 『生長の家五十年史』 1980, pp. 758–781.
- ^ a b c 澤渡盛房「立派だった先賢の一言 日本を守る会誕生記」 『祖国と青年』1985年8月号、日本青年協議会、41-43頁。
- ^ a b c 『右翼・民族派事典』 1976, p. 123.
- ^ a b 塚田 2015, p. 54.
- ^ 具裕珍『保守市民社会と日本政治』、25-30ページ
- ^ 成澤 2015, p. 88.
- ^ 寺田喜朗. “日本会議と創価学会 安倍政権を支えるコミュニティ”. 公益財団法人 国際宗教研究所. 2023年12月6日閲覧。
- ^ a b c d 成澤 2015, p. 89.
- ^ a b 藤生 2018, pp. 137–138.
- ^ 藤生 2018, p. 140.
- ^ a b c 塚田 2015, p. 55.
- ^ 藤生 2018, p. 139.
- ^ “外山勝志”. 明治神宮 歴史データベース. 2024年1月26日閲覧。
- ^ 藤生明『右派論壇、仁義なき戦い 「つくる会」分裂だけじゃない』、アエラ、2006年12月4日号
- ^ 俵義文 (2019年5月30日). “元号は自明か?:元号法制化と戦後日本社会”. Web日本評論. 2024年1月26日閲覧。
- ^ 青木 2016, pp. 24–25.
- ^ 塚田「転轍点」p.77.
- ^ 上杉 2007, p. 179.
- ^ a b c d 魚住 2007, p. 120.
- ^ 上杉 2007, p. 178.
- ^ 成澤 2015, p. 79.
- ^ 『戦後史と反動イデオロギー』p.154、中島三千男「政治反動における宗教教団の役割」
- ^ 堀 1993, p. 224.
- ^ 成澤 2015, p. 80.
- ^ 成澤 2015, p. 78-80.
- ^ 成澤 2015, p. 91.
- ^ 魚住 2007, p. 121.
- ^ 魚住 2007, p. 128-129.
- ^ 上杉 2007, p. 181-182.
- ^ a b 上杉 2007, p. 182.
- 1 日本を守る会とは
- 2 日本を守る会の概要
- 3 評価
- 4 脚注
- 日本を守る会のページへのリンク