譲渡車両
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DD35 1号機1960年新潟鐵工所製、B-Bロッド式機関車。 仙台臨海鉄道開業時から使用されていた機関車で、常盤共同火力より譲渡された。その後、1984年まで使用されていたが、上記のDD55型2両の導入により余剰となり、同年に衣浦臨海鉄道に譲渡された。譲渡後は半田埠頭駅で入換用に使用されていたが、1987年に休車となり、1991年に廃車解体された。 DD35011970年川崎重工製。 東北開発岩手セメント工場(現在の三菱マテリアル岩手工場)から1996年に譲受。仙台北港の東北石油入換用だったが2001年に産業振興に譲渡。
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譲渡車両
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「武蔵野鉄道デハ100形電車」の記事における「譲渡車両」の解説
西武鉄道における除籍後の各形式は、前述のように終戦直後より近江鉄道へ貸出・譲渡された車両が多数を占め、また後年除籍された車両についても車体改修工事を実施して地方私鉄へ譲渡されたものも存在し、最終的に全16両中12両が譲渡対象となった。いずれも木造車体仕様のまま譲渡されたことから、譲渡先事業者においても比較的早期に車体新製もしくは載せ替えによる鋼体化改造が実施され、1962年(昭和37年)までに外観上の原形を保つ車両は消滅した。なお、鋼体化改造を実施した車両についても既に全車廃車となっており、現役の車両として運用されているものは存在しない。 栗駒電気鉄道(後のくりはら田園鉄道) - モハ201形204が譲渡され、同社M16形161として導入された。 上毛電気鉄道 - モハ201形203が譲渡され、同社デハ160型161として導入された。 松本電気鉄道 - モハ105形105が譲渡され、同社デハ13として導入された。 岳南鉄道 - モハ105形106が譲渡され、同社モハ105形106として原形式・原番号のまま導入された 近江鉄道 - モハ131形131・132、モハ201形201・202、クハ1201形1201 - 1204の計8両が譲渡され、いずれも原形式・原番号のまま導入された。
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譲渡車両
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廃車後、551系は全24両中わずか5両が総武流山電鉄(現・流鉄)および一畑電気鉄道(現・一畑電車)へ譲渡されたに過ぎない。うち2両は両運転台化が施工され、残る3両もクハ1651形と編成された2連での譲渡である。なお、クハ1651形と編成されて譲渡された車両のうち、西武在籍当時からの編成は1本のみであり、残る2本は譲渡に際して新たに編成されたものであった。また、571系も全10両中1編成2両が三岐鉄道へ譲渡されたに留まっている。 なお、現在は譲渡先各社においても既に全車廃車となっており、現役で稼動する車両は存在しない。 551系・571系両系列とも廃車当時の経年は25年程度で状態は比較的良好であり、かつ空気ばね台車装備と一応の近代化を果たしていた。しかし、当時の社会情勢は地方私鉄においても冷房車もしくはカルダン駆動の新性能車が望まれつつあった時代であり、両系列が非冷房の吊り掛け駆動車であったことが、中古車両を地方私鉄へ売り込むことに長けた西武としては譲渡数が比較的少数に留まったことに直結したと分析されている。
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譲渡車両
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「武蔵野鉄道デハ320形電車」の記事における「譲渡車両」の解説
総武流山電鉄クハ52(元西武クハ1213・1983年12月) 名義上の改造種車となったモハ211 - 214を含め、モハ211形・クハ1211形10両全車とも地方私鉄へ譲渡された。いずれの車両も譲渡先においても既に廃車となり、現役の車両として運用されているものは存在しない。 流山電気鉄道(現・流鉄) - クハ1211形1212・1213(2代)が譲渡され、同社モハ1001・クハ52として導入された。 新潟交通 - クハ1211形1214が譲渡され、同社クハ39として導入された。 蒲原鉄道 - クハ1211形1211が譲渡され、同社モハ71として導入された。 近江鉄道 - モハ211形全車、およびクハ1211形1215(2代)・1216が譲渡され、同社モハ7 - 9およびクハ1205・1206・1208として導入された。 廃車後は大半の車両が解体処分されたが、蒲原鉄道モハ71(旧武蔵野鉄道デハ1322)のみは同社路線が全廃となった1999年(平成11年)10月3日まで現役の車両として運用されたのち、個人の手によって旧村松駅付近に静態保存された。
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譲渡車両
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本系列のうち、廃車後に地方私鉄への譲渡対象となったのは1971年までに除籍された計11編成22両で、うち9編成18両までが1次車で占められている。譲渡先は富山地方鉄道・大井川鉄道・豊橋鉄道の3社であるが、うち富山地方鉄道譲渡分については当初名鉄に車籍を残したまま貸し出しの形で入線し、後に正式譲渡されている。
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譲渡車両
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「知多鉄道デハ910形電車」の記事における「譲渡車両」の解説
福井鉄道140形モハ141-2(元名鉄モ902、2005年) 詳細は「福井鉄道140形電車」および「北陸鉄道モハ3740形電車」を参照 廃車後、本形式は全車とも地方私鉄へ譲渡されることとなり、モ901・モ902・モ907の3両が福井鉄道へ、モ903 - モ906の4両が北陸鉄道へそれぞれ譲渡された。福井鉄道向けの3両は名鉄在籍当時の仕様のまま譲渡されたが、北陸鉄道向けの4両については名鉄岐阜工場において両運転台仕様への復元・前面窓のHゴム固定支持化・妻面貫通扉および客用扉の鋼製扉化など各種改造を施工した上で譲渡先へ発送された。 北陸鉄道への譲渡車両は1990年(平成2年)12月に全廃となった。福井鉄道への譲渡車両についても1998年(平成10年)より淘汰が開始され、最後まで残存した140形モハ141-2(元名鉄モ902、旧知多デハ916)が2006年(平成18年)10月をもって運用を離脱、翌2007年(平成19年)8月に解体処分され、全廃となった。従って、知多鉄道デハ910形に由来する車両はいずれも現存しない。
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譲渡車両
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「PCCカー (南東ペンシルベニア交通局)」の記事における「譲渡車両」の解説
PCCカーの製造は1952年をもって終了したため、以降のPCCカーの増備は全て他都市からの譲渡車両によって行われた。 元:セントルイス公共事業会社(英語版) - 1940年に製造された車両で、セントルイス公共交通会社の路線廃止に伴い1954年に50両(2201 - 2250)が入線したが、公営化前の1962年までに廃車された。 元:カンザスシティ市電(英語版) - 1946年製で、PTCでの運用開始は1955年。40両(2251 - 2290)が譲渡され、電動機は全車WH製であった。新型車両への置き換えにより1985年までに廃車されている。 元:トロント市電(英語版) - 1975年10月に発生した車庫火災による焼失車両の代替として1976年に急遽導入した車両。全車ともトロント市電の新造車両ではなく、2240 - 2250の11両はカンザスシティ市電が1946年に導入したセントルイス・カー・カンパニー製、2300 - 2318の19両はバーミングハム鉄道電気会社(英語版)が1946年に導入したプルマン・スタンダード製の車両で、トロント市電に続く2回目の譲渡であった。また後者の19両はフィラデルフィアのPCCカーで唯一のプルマン製となった。双方とも電動機はWH製で、制動装置は全電気式(オール・エレクトリック)であった。2240 - 2250は1983年、2300 - 2318は1982年までに廃車されている。
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譲渡車両
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「小田原急行鉄道151形電車」の記事における「譲渡車両」の解説
岳南鉄道では1969年にクハ1351(旧モハニ154→デハ1304)を譲り受け、同社クハ2602として使用開始した。1979年6月にはクハ1107に形式が変更されたが、1981年7月に廃車となった。廃車後も比奈駅構内で車体が倉庫として使用されている。 新潟交通では1969年にクハ1352(旧モハニ155→デハ1305)を譲り受け、同社クハ36として使用したが、1989年12月に廃車となった。 東急車輛製造では1984年7月にデニ1301(旧モハニ151→デハ1301)を譲り受け、同社横浜製作所構内の牽引車モニ105として使用を開始したが、1993年には用途廃止となった。
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譲渡車両
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/06/13 12:44 UTC 版)
前述の通り、木造車体のクハ21形(初代)・半鋼製車体のクハ21形(2代)とも、計10両全車が他の鉄道事業者へ譲渡された。譲渡先においては電動車化改造など各種改造が実施されたが、1999年(平成11年)に廃車となった銚子電気鉄道デハ501(元近江クハ23 2代→上田丸子電鉄モハ2231)を最後に全車廃車となり、現存する車両はない。
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譲渡車両
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「京王電気軌道23形電車」の記事における「譲渡車両」の解説
廃車後、25両は1933年(昭和8年)から1941年(昭和16年)にかけて新京交通、大日本電力、多摩湖鉄道、東京地下鉄道、広島瓦斯電軌の各社へ譲渡された。高速走行を意識していたとはいえあくまで路面電車ベースの設計だったこともあってか、多摩湖鉄道以外の譲渡先はいずれも路面電車であった。 新京交通1941年(昭和16年)に51の1両を譲渡。同社は満洲国の首都新京市内の路面電車を経営した企業であるが、譲渡後の状況は不明。 大日本電力(旧函館水電)1940年(昭和15年)に40・45・47・52・53・57の6両を譲渡。同社は函館市を地盤とした電力会社で、函館市内において路面電車(今日の函館市電)を経営し、かつ昭和初期における京王電気軌道第二位の大株主であった。譲渡後は400形(401 - 406)と改番し、集電装置がビューゲルに取り替えられるなどしたもののほぼ原型のまま使用された。このうち405は長らく教習車として車庫に保存されていたが、引き取りの打診があったものの京王側が拒んだため解体されたとされている。 多摩湖鉄道1933年に30・33の2両、翌1934年(昭和9年)に32の1両で合計3両を譲渡。譲渡にあたっては車軸の交換、ステップ取り付けによるデッキ部の拡幅、トロリーポール化などの改造が行われ、30がモハ20形20、33が21、32が22に改番された。。多摩湖鉄道はその後武蔵野鉄道、次いで(旧)西武鉄道に合併された。1948年(昭和23年)6月にはモハ101形101 - 103に再改番、さらに1949年(昭和24年)以降は順次車体が鋼体化された。 東京地下鉄道1938年(昭和13年)に23 - 26・28の5両を譲渡。東京地下鉄道は今日の東京メトロ銀座線浅草 - 新橋間を建設・運営した鉄道会社であるが、譲渡と同じ1938年にバス会社の東京乗合自動車を買収した際、同社が1937年(昭和12年)に買収した城東電気軌道の路線も継承したため、路面電車も経営していた。譲渡にあたっての改造は集電装置をトロリーポールに復したのみである。譲渡後は番号順に80形81 - 85、次いで1942年(昭和17年)に旧城東電気軌道線が東京市電に編入された後は10形11 - 15と改番されたが、太平洋戦争中の戦災によって全車焼失、廃車となった。 広島瓦斯電軌(後の広島電鉄)1938年に36・41 - 43・48・58・62 - 65の10両を譲渡。同年に発生した車庫火災による焼失車の代替として緊急に譲渡したもので、譲渡後は500形500 - 509と改番している。市内線用車両ではあるが、太平洋戦争中は宮島線でも運用され、その関係で1945年(昭和20)8月6日の原爆投下でも被害を免れ、市内線の復旧後は直ちに投入された。1948年(昭和23年)には車体を鋼体化して700形(701 - 710)となり、1980年(昭和55年)まで在籍した。 このほか北京市電で23形とみられる電車が運行されている写真が残されているが、鉄道史研究者の澤内一晃は廃車後の1940年に小島栄次郎工業所なる鉄道車両・部品ブローカーに売却した31・34・35・39・54・56が販売されたものと推定している。これらの譲渡車も含め23形は全車が廃車解体されており、千葉県いすみ市のポッポの丘に広島電鉄譲渡分で使用されていたものと伝えられるブリル76E台車1両分が展示されているのみである。
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譲渡車両
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「京都市交通局800形電車」の記事における「譲渡車両」の解説
1844 - 1870のうち6両(1844・1866 - 1870)が阪堺電気軌道(本社:大阪市住吉区、南海電気鉄道の子会社)に払い下げられて同社のモ251形251 - 256となり、主に朝のラッシュ時に運用された。しかし、市電時代は直接制御の手堅い設計が市電の運転士に歓迎された同車も、鉄道線に準じた高速運転を主体とし間接制御車が多数存在した阪堺においては逆に低性能の烙印を押され、思うような活躍が出来ないまま1995年までにモ701形の増備などで全廃されている。 あびこ検車区に留置中の阪堺モ252(元1866)(1994年4月10日撮影) 平安遷都1200年記念で京都市電塗装に復元された阪堺モ256(元1870)(1994年9月24日撮影)
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譲渡車両
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/27 05:09 UTC 版)
14号電車 - 元は1904年に製造された、メトロポリタン電気軌道の94号電車。イーストボーン電気鉄道時代の1962年に購入し、軌間変更や車体の狭幅化などの大規模な改造を受け1984年から運行を開始した。2018年現在、シートン電気軌道最古参の電車である。 16号電車 - 元は1921年に製造された、ボーンマスの路面電車の106号電車。1974年から改造工事が始まり、1992年から営業運転を開始した。 19号電車 - 元は1906年に製造された、エクセターの路面電車(英語版)。1994年に譲受し、1998年から営業運転を開始した。現存する唯一のエクセターの路面電車車両である。 14号電車 16号電車 19号電車
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譲渡車両
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 18:21 UTC 版)
「国鉄キハ10系気動車」の記事における「譲渡車両」の解説
本系列は使い勝手の良さから輸送力の小さい私鉄にも譲渡されており、キハ10形、キハ11形、キハ17形が転出している。 キハ17形は4両が島原鉄道に譲渡されたが、1986年までに全廃されている。 キハ10形は7両を譲受した水島臨海鉄道を筆頭に、南部縦貫鉄道(1両)、鹿島臨海鉄道(2両)、筑波鉄道(1両)、加悦鉄道(1両)の計12両が譲渡された。 キハ11形は茨城交通(現・ひたちなか海浜鉄道)に3両、津軽鉄道に2両が譲渡されている。 茨城交通譲渡車は1両(キハ111。国鉄時代の旧番号はキハ11 19。廃車後は阿字ヶ浦駅で海水浴客の更衣室として使われた)は映画『鉄道員』撮影用のカットボディとして解体、1両(キハ113。旧番号はキハ48036→キハ11 26)は廃車後、キハ48036として佐久間レールパーク→リニア・鉄道館に収蔵・展示、残る1両(キハ112。旧番号はキハ48035→キハ11 25)は2004年まで営業運転に使用されたのち、キハ11 25として鉄道博物館に収蔵・展示されている。 津軽鉄道に譲渡された2両のうち1両(キハ24025。国鉄時代の旧番号はキハ11 31)は廃車後、車体部分を解体され、台枠以下はカラオケボックスの基礎として使われた。もう1両(キハ24026。国鉄時代の旧番号はキハ11 32)は、2006年(平成18年)12月まで津軽中里駅の側線に保管されていたが、後に解体された。
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譲渡車両
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/14 17:10 UTC 版)
本系列は廃車当時の車齢20年程度で状態は比較的良好であり、かつ20m級3扉車体が地方私鉄に好まれたことから、クハ1651形を除く全54両中19両が譲渡された。いずれも本系列同士、もしくはクハ1651形と編成した2両編成で譲渡されており、クモハ451形2両を組み合わせて一方を電装解除した2両編成で譲渡されたものも存在する。なお、6両固定編成については先頭車・中間車問わず全車解体処分されている。 譲渡先は上信電鉄・三岐鉄道・一畑電気鉄道(現、一畑電車)の各社であるが、車齢が35年を超えて老朽化が目立ち始めた1990年代後半に相次いで全廃され、現役で運行されているものはない。
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譲渡車両
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/06 04:33 UTC 版)
西武における除籍後の701系・801系は、経年の浅いFS072台車・電動発電機・HB-2000CB電動空気圧縮機など一部の部品を新2000系の新製に際して供出したことから、地方私鉄に譲渡されることなく解体処分された編成が比較的多数を占める。その中においても、一部の車両が上信電鉄(4両)、総武流山電鉄(現・流鉄、10両)、伊豆箱根鉄道(9両)、三岐鉄道(12両)の各社へ譲渡された。譲渡に際しては原形の4両編成もしくは6両編成のままではなく、いずれも制御車の前頭部を中間電動車の妻面に接合する形で2両編成もしくは3両編成に短縮され、制御車の台車については前述の通りFS072台車が西武側において再利用されたことから、大半の車両が解体処分された他編成の中間電動車より発生したFS342台車に換装された上で譲渡された。また801系独自の台車であるFS067台車については、同台車を装着するクハ1801形のうち唯一譲渡対象となったクハ1810(総武流山電鉄クハ22)が譲渡に際してFS072に換装されたため、全数とも廃棄されて現存しない。 その他、一部の解体発生品については前述の通り新2000系の新製に際して転用されたほか、伊豆箱根鉄道・北陸鉄道・西日本鉄道などへ売却された。
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譲渡車両
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/21 06:48 UTC 版)
廃車後、本系列60両中計31両が地方私鉄へ譲渡された。編成単位で譲渡されたものはいずれも3両編成に短縮した上で譲渡されており、譲渡に際して中間サハの差し替えを行った編成も存在する。しかし、車齢が35年を経過した1980年代後半以降は譲渡先でも代替廃車が相次ぎ、2010年(平成22年)9月時点で現存する車両は大井川鉄道(現・大井川鐵道)へ譲渡され、客車化改造を施工された初期車グループのサハ2両のみであり、先頭車および後期車グループのサハについては既に全車廃車解体されて現存するものはない。 なお、本系列の解体発生品である空気ばね台車およびMT30主電動機は、本系列のTR22台車を装備した車両の譲渡に際して振り替えに用いられたほか、451系の上信電鉄向け譲渡車両にも転用された。
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譲渡車両
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/17 09:25 UTC 版)
前述の通り、311系はその多くが戦災国電の復旧車両であったことから西武における廃車当時の状態が非常に悪く、また311系・371系とも車体幅が地方鉄道法による規定を超過していたことから必然的に譲渡先が限定され、西武における除籍後はそのまま解体処分された車両が多数を占める。全70両中、クモハ311形5両・クモハ371形4両・クハ1311形3両の計12両が弘南鉄道・栗原電鉄(後のくりはら田園鉄道)・伊豆箱根鉄道・大井川鉄道・近江鉄道の各社に譲渡されたが、いずれも現存しない。また、両系列の解体発生品の一部については三岐鉄道および伊予鉄道へ売却されたほか、クハ1301形1301が廃車後車体のみ一畑電気鉄道(現・一畑電車)へ売却された。
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譲渡車両
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「武蔵野鉄道デハ5550形電車」の記事における「譲渡車両」の解説
名義上の改造種車となったモハ236・237を含め、廃車後の本形式は8両全車が地方私鉄へ譲渡された。いずれの車両も譲渡先においても既に廃車となり、現存する車両はない。 弘南鉄道 - モハ233・235・238の車体のみが譲渡され、同社モハ2231形2231 - 2233として導入された。 伊豆箱根鉄道 - モハ236・237の車体のみが譲渡され、同社保有の木造車モハ45・クハ23の鋼体化改造(車体換装)に用いられた。 大井川鉄道 - モハ231・234が譲渡され、同社モハ300形304・クハ500形504として導入された。 近江鉄道 - モハ232が譲渡され、同社モユニ10(郵便荷物合造車)として導入された。
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譲渡車両
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「京阪3000系電車 (初代)」の記事における「譲渡車両」の解説
本系列は、富山地方鉄道には先頭車両とダブルデッカーの中間車両、大井川鉄道には先頭車両のみが転用され、2020年(令和2年)現在は富山地方鉄道で引き続き運用されている。ただし、両社とも狭軌路線のため、実際には車体のみの譲渡である。
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譲渡車両
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「西武クハ1411形電車」の記事における「譲渡車両」の解説
本形式のうち早期に除籍・譲渡された5両を除く40両中、9両が廃車後地方私鉄へ譲渡された。譲渡先は上毛電気鉄道ならびに大井川鉄道(現・大井川鐵道)の2社で、いずれも351系と編成された状態で譲渡されている。 なお、現在は上毛電気鉄道へ譲渡された車両は既に全車廃車となっており、現存するのは大井川鉄道へ譲渡された1両のみである。
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譲渡車両
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「武蔵野鉄道デキカ10形電気機関車」の記事における「譲渡車両」の解説
前述の通り、西武鉄道において静態保存されたE12(旧デキカ12)を除く2両が他社へ譲渡され、弘南鉄道へ譲渡された13は2012年(平成24年)5月現在も車籍を有する。
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譲渡車両
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「武蔵中央電気鉄道1形電車」の記事における「譲渡車両」の解説
前述の通り、京王電気軌道への継承前後に6両が、旧武蔵中央電気鉄道線の全線廃止時に残る5両が、それぞれ他事業者へ譲渡された。 このうち北京電車電灯公司(北京市電)へ譲渡された2・3・5・7・11の計5両は、鉄軌道車両の斡旋業者である小島栄次郎(「小島栄次郎工業所」名義)に売却されたのち、1940年(昭和15年)に芝浦ふ頭より船便にて中国へ輸出され、北京市電へ転売されたものである。 なお、北京市電へ譲渡された5両は502形502 - 506の形式称号・車番が付与されたが、譲渡後の動向は不明とされる。
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譲渡車両
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「東京市電気局1形電車 (初代)」の記事における「譲渡車両」の解説
横浜電気鉄道94形(94 - 105) - 1915年(大正4年)、1919年(大正8年)、1920年(大正9年)にヨト221 - 227、232 - 237を譲受。関東大震災で半数を失い、残りも1925年(大正14年)に廃車 京成電気軌道12・13 - 1916年(大正5年)1月ヨト3・10を譲受 函館水電31形(31 - 35) - 1917年(大正6年)にヨト246 - 250を譲受。1926年(大正15年)1月焼失 城東電気軌道1 - 6のうち4両 - 1917年(大正6年)12月認可。開業時から使用 能勢電気軌道11形(11-15) - 1920年(大正9年)5月にヨト207 - 211を譲受。1921年(大正10年)8月認可、10月使用開始 王子電気軌道27 - 36 - 1920年(大正9年)7月認可 四日市鉄道 - ヨト141、142、145、146を譲受1921年(大正10年)11月電化時から使用された。軌間762 mmに改造して使用した高松吉太郎は44両の売却先を横浜電気鉄道12両、京成電気軌道2両、函館水電5両、城東電気軌道4両、能勢電気軌道5両、王子電気軌道10両、飯井商会6両とし、四日市鉄道分は飯井商会売却分のうちとしている
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譲渡車両
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「名古屋鉄道デセホ700形電車」の記事における「譲渡車両」の解説
詳細は「福井鉄道140形電車」および「北陸鉄道モハ3700形電車」を参照 名鉄において廃車となったモ700形・モ750形のうち、各務原線の架線電圧昇圧に伴って1964年(昭和39年)に余剰廃車となったモ700形701・705・707 - 710の6両のみが地方私鉄への譲渡対象となった。モ701・モ705は福井鉄道へ、モ707 - モ710は北陸鉄道へそれぞれ譲渡され、前者はモハ140形(初代)141・142、後者はモハ3700形3701 - 3704の形式称号・記号番号がそれぞれ付与された。 福井鉄道モハ141・モハ142は後年同じく名鉄より譲渡されたモ900形(2代目モハ140形)に代替され、1979年(昭和54年)に廃車となった。北陸鉄道モハ3700形は1980年(昭和55年)の同社能美線廃止によって用途を失い、長期間休車となったのち1986年(昭和61年)4月に全廃となった。
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譲渡車両
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「KRLコミューターライン」の記事における「譲渡車両」の解説
Hibah(東京都交通局 6000形) 2000年に72両が導入された。東京都より無償譲渡されたため贈り物を意味する“Hibah”の愛称をもつ(ただし輸送費と改造費用はインドネシア側が負担)、合わせてメンテナンスや規格の専門家が日本から派遣指導した。原型7編成とインドネシアのPT INKAで運転台を取り付けた4編成の計11編成が在籍し、編成の自由度が高いことから頻繁に組換が行われている。セミステンレス車体、抵抗制御。2010年からは6121号車は「KL1-6121(元番号)」をつける形で現地番号が付けられたが2012年に「K1 1 00 01(旧6121号車)」-「K1 1 00 49(旧6288号車)」・「K1 1 01 01(旧6151号車)」-「K1 1 01 23(旧6257号車)」とのナンバーが取り付けられた。『K1 1 00 01』とは最初の「K」は旅客用車両、次の「1」は1等車(エクセクティフ)、その次の「1」は電車を表し、次の二桁は導入された年の西暦の下二桁を、最後の2桁は導入順の番号を表している。2008年から2009年にかけて発生した追突事故により6252(「K1 1 01 21」)と6155(「K1 1 01 03」)が使用不可能となった。老朽化や205系の導入によって置き換えが始まり2016年中に運用を終了し、一部編成はCikaum駅に廃車回送された。 元都営6000形電車 JR 103(東日本旅客鉄道 103系) 2004年にケヨE20、21、22、27の4両4編成が導入された。普通鋼車体、抵抗制御。Mc-M´-T-TcとTc-M-M´-Tcが2編成ずつ、運転席も通常タイプとATC準備の高運転台仕様がある。元は京葉車両センターに所属し武蔵野線で活躍していた車両で、購入価格は16両で102億ルピア(約1億3千200万円)、プラス日本からの輸送費と現地報道された。現地番号は「K1 1 04 01」から「K1 1 04 16」これは2004年に導入された1番目 - 16番目の車両をあらわしている。老朽化や205系導入により2016年中に運用を終了し、全編成が廃車された。 元JR東日本103系電車 Seri 5000(東京地下鉄 5000系)とSeri 1000(東葉高速鉄道 1000系) 両社に残っていたセミステンレス車体で冷房装置取付・制御回路を抵抗制御から界磁添加励磁制御に更新した最後のグループ、8両6編成(+予備車12両)が2006年から2007年にかけて導入された。譲渡関連契約がもう少し早ければさらに多くの車両の譲渡が実現したものと推定されている。この車両の導入にはインドネシア運輸省鉄道総局の主導で進められたが、その導入過程で汚職事件が発覚、汚職撲滅委員会によって運輸省鉄道総局長が逮捕され国庫に18億9千万ルピアの損害を与えたとして禁固3年、罰金1億ルピアの判決が言い渡された。 2017年6月に1000形1080編成は運用開始から再び10両編成化され、これに伴い運用から離脱した1090編成の2両の中間車(1094と1095)は1080編成に組み込まれた。そして7月に5000系67編成は同様に10両編成化され、組み込まれた中間車は同じく1000形1090編成の中間車(今度は1092と1093)。 一方、1000形06編成と5000系66編成は廃車となっており、Cikaum駅へ機関車牽引によって回送された。また、1000形1080編成と5000系67編成に組み込まれていない1000形1090編成の4台の残り車両はデポック電車区の保留車として留置(2022年1月23日廃車回送)、1080FはDepok電車区、5817FはDepok Baru駅の中線に留置(2022年1月23日廃車回送)されている。 元東葉高速鉄道1000形と元東京メトロ5000系編成 元東葉高速鉄道1000形と元東京メトロ5000系編成 編成 号車1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 1080F1081 1082 1083 1084 1085 1086 1094 1095 1089 1080 5817F5817 5246 5632 5359 5127 5927 1092 1093 5251 5017 8両旧営団5000系電車 10両旧営団5000系電車 10両旧東葉高速鉄道1000系電車
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譲渡車両
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.mw-parser-output .tmulti .thumbinner{display:flex;flex-direction:column}.mw-parser-output .tmulti .trow{display:flex;flex-direction:row;clear:left;flex-wrap:wrap;width:100%;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{margin:1px;float:left}.mw-parser-output .tmulti .theader{clear:both;font-weight:bold;text-align:center;align-self:center;background-color:transparent;width:100%}.mw-parser-output .tmulti .thumbcaption{background-color:transparent}.mw-parser-output .tmulti .text-align-left{text-align:left}.mw-parser-output .tmulti .text-align-right{text-align:right}.mw-parser-output .tmulti .text-align-center{text-align:center}@media all and (max-width:720px){.mw-parser-output .tmulti .thumbinner{width:100%!important;box-sizing:border-box;max-width:none!important;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow{justify-content:center}.mw-parser-output .tmulti .tsingle{float:none!important;max-width:100%!important;box-sizing:border-box;align-items:center}.mw-parser-output .tmulti .trow>.thumbcaption{text-align:center}} 3050系が装備したKS-33台車。(上毛電気鉄道譲渡車の解体発生品) HS-266-A主電動機。KS-33への装架状態。 2両編成のうち、3554・3555・3558・3559・3562 - 3564編成の計7編成14両が、前述300型(元3000系)の代替目的で上毛電気鉄道に譲渡され、1995年(平成7年)4月より同社350型として順次導入された。しかし、非冷房車であることや主要機器の老朽化が著しかったことが災いし、譲渡後間もない1999年(平成11年)より700型への代替が開始され、翌2000年(平成12年)10月までに全車廃車されて現存しない。 なお、詳細は上毛電気鉄道300型電車#350型を参照されたい。
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譲渡車両
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事故により廃車となった車両が以下の通り私鉄に譲渡されている。 西武鉄道 前述のとおり割当の2両を返却した後、1950年に導入した戦災国電を復旧したクハ1411形が初めての全長20 m車となり、さらにその後1953年に63系の事故廃車車両3両を国鉄から譲受してモハ401形モハ402、クハ1421形クハ1421、クハ1422とし、1956年に同一仕様の1両を自社で製造した。なお、クハ1422となった旧モハ63470は、東武鉄道にモハ63046Iとして割当られたものの、台枠横梁の折損もしくは台枠垂下により車体にゆがみが生じたとされる事故(詳細不明)により、製造元の川崎車輌によって代車(モハ63560I予定車をモハ63046IIに改番したもの(国鉄には別途モハ63560IIを納入))に交換された元の破損車両が修理の上で国鉄に納入された(モハ63470)が、別の事故により廃車され譲渡されたものである(IおよびIIは、それぞれ初代番号、二代目番号を示す)。 詳細は「西武401系電車 (初代)」を参照 小田急電鉄 事故廃車となったモハ63082とモハ63168を譲受し、それぞれ台枠を流用して1700形サハ1752およびサハ1751に改造している。本車は1800形に次ぐ全長20 mの車両であったが、1967年に特急用から通勤用に改造した際に全長を17.3 mに短縮している。 相模鉄道 事故廃車となったモハ63056を1952年10月に譲受し、63系割当車と同じクハ3500形に編入されてクハ3504となっている。
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譲渡車両
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富山地方鉄道16010形16011編成(元西武5501編成) 1995年(平成7年)3月に5501編成のクハ5501・モハ5052・クハ5502が、同年11月には5507編成のクハ5507・モハ5058・クハ5508が富山地方鉄道へそれぞれ譲渡された。前述のように本系列の台車ならびに主要機器は10000系へ流用されるため、車体と一部の機器のみを譲渡する形となった。 譲渡後は同社稲荷町車両基地(現・稲荷町テクニカルセンター)において各種改造が施工され、主要機器については他社より調達した廃車発生品などを装備する。 なお、台車と主要機器が流用された10000系も、2020年に富山地方鉄道に譲渡されたため、生き別れとなった車体と足回りが25年ぶりに再会することとなった。 詳細は「富山地方鉄道16010形電車」を参照
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譲渡車両
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「PCCカー (マサチューセッツ湾交通局)」の記事における「譲渡車両」の解説
1956年1月31日までダラスで路面電車を運営していたダラス・レールウェイ&ターミナル会社(Dallas Railway & Terminal Company)は、1945年にプルマン・スタンダード製のPCCカーを25両導入していた。これらの車両は両運転台式で、車体の前後に乗降扉が設置され、総括制御にも対応していた。車内は片側にロングシート、もう片側にクロスシートが配置されていた。廃止後、製造から日が浅かったこれらの車両は他社への売却が検討された。 同時期、MTAによって運営されていたボストンの路面電車ではPCCカーによる旧型車両の置き換えが進み、1958年の時点で9両が残るのみとなっていたが、これらの車両が使用されていた系統には終端に方向転換用のループ線が存在せず、片運転台式の車両で置き換えるのは難しかった。そこでMTAはこれらの車両の代替用として、廃止になったダラスのPCCカーのうち1945年製の車両を購入する事を決定した。 1959年に最初の8両(3322 - 3329)がボストンへ到着し、運転士の訓練が行われた後、同年1月26日から営業運転を開始した。これにより、最後まで残った旧型車両は4月10日をもって引退した。更にループ線が終端に無い系統が新たに登場する事に併せ、残りの17両(3330 - 3346)も同年中にMTAへ譲受され、各地の系統に導入された。ボストンでは単行運転を主体とし、両運転台式の利便性が発揮された一方、他車と乗降扉の位置が異なる事による支障も起きたため、1961年以降は大半の車両がグリーンラインからマタパン線へ移籍した。1964年のMBTA発足後はグリーンラインの車両は車体下部が緑色に、レッドラインに組み込まれたマタパン線の車両は赤色となった。 譲受当初、ダラスよりも積雪量が多く海風による腐食も起きる事を考慮しMTAはこれらの車両の耐用年数を15年程度と見込んでいたが、実際はそれよりも長く活躍し、グリーンラインからは1978年に、マタパン線からは1981年に引退した。以降は事業用車両に改造されたもの(3327、3343)を含めてシーショアー路面電車博物館(英語版)で6両が保存され、動態復元へ向けた検討が行われている。 製造年譲受年総数軌間編成運転台備考・参考1945 1959-60 25両(3322-3346) 1,435mm 単車 両運転台 全長全幅全高着席定員最大定員14,325mm47ft 2,540mm8ft 4in 3,378mm11ft 1 1/8in 49人 118人 重量最高速度電動機電動機出力車両出力17.9t39360lbs ? WH 1432HE 41kw 164kw
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譲渡車両
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2014/01/07 01:16 UTC 版)
「武蔵野鉄道クハ5855形電車」の記事における「譲渡車両」の解説
前述の通り、本形式は廃車後全車とも地方私鉄へ譲渡され、うち2両については譲渡に際して電動車化改造が実施された。いずれの車両も譲渡先においても既に廃車となり、現役の車両として運用されているものは存在しない。 蒲原鉄道 - クハ1233が譲渡され、電動車化改造を実施し同社モハ61として導入された。 三岐鉄道 - クハ1234が譲渡され、同社クハ200形201として導入された。 一畑電気鉄道(現・一畑電車) - クハ1322・1235 - 1238の5両が譲渡され、クハ1232は電動車化改造を実施し同社デハ11(初代)として、クハ1235 - 1238は同社クハ100形101 - 104としてそれぞれ導入された。なお、前述の通りデハ11(初代)は1961年(昭和36年)に除籍となり西武鉄道へ返還された。 廃車後は大半の車両が解体処分されたが、蒲原鉄道モハ61(旧武蔵野鉄道クハ5856)のみは同社路線が全廃となった1999年(平成11年)10月3日まで現役の車両として運用されたのち、新潟県加茂市の冬鳥越スキーガーデンにおいて静態保存され、2001年(平成13年)4月には加茂市の文化財に指定された。
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