集電装置
(トロリーポール から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/15 01:18 UTC 版)
集電装置(しゅうでんそうち、英語: current collector)とは、鉄道車両やトロリーバスが電気を得るための装置をいう。集電器(しゅうでんき)とも呼ばれ、代表例としてパンタグラフが挙げられる。
注釈
- ^ 交流の降圧と直流への整流・平滑化機器群を制御・付随車に集約搭載した国鉄781系電車やJR西日本521系電車がある。
- ^ 国鉄クエ9420形の一部や東武鉄道クエ7000形など。
- ^ 架線に対して水平(角度は0°)の時に押し上げる力は最大で、角度が付くに従って押し上げる力が減少し、90°になるとゼロになる。
- ^ 花巻電鉄の軌道線では配電用の電柱をそのまま利用して架線を張っていたので架線の吊架線の間隔が広く、架線のたるみや曲線部分での偏倚や折れ曲がりが多かった。世界各国ではポルトガルのリスボン市電が広い道路上ではZパンタグラフを使用し、急勾配と急曲線が連続して架線の設置状況が厳しい旧市街地を走る路線でのみトロリーポールを使用している。
- ^ 吉川文夫吉川文夫『路面電車の技術と歩み』136-137頁。アメリカ西海岸に最盛期の1926年(大正15年)に約1870kmの軌道延長を持ち、路線を縮小しながら1961年(昭和36年)まで運行していたパシフィック・エレクトリック・レイルウエイ(Pacific Electric Railway)で2~3両以上を連結してポールカーが走っていた。
- ^ 中田安治『路面電車 -消えゆく市民の足-』121-122頁。自動車に対抗して開発された当時の最新鋭車両。
- ^ 1911年(明治44年)10月に名古屋電気鉄道で、軌道からの漏洩電流により電話ケーブル鉛管が腐食し、一時通話障害が発生した[2]。
- ^ 車体中央に屋根が無い電動無蓋貨車などでは屋根の中央に相当する場所に前後の運転室屋根から梁を渡すか、床から柱を立てて取り付けてあるケースもある。
- ^ 依田幸一『チンチン電車始末記 横浜を走った70年』94-95頁、268頁。トロリーコードをつかんでトロリーポールを操作していた乗務員がばねの反力で持ち上げられ宙吊りになるトラブルが頻発し、落下事故も発生した。
- ^ a b 京福電気鉄道叡山本線・鞍馬線はホイール式トロリーポール使用で開業しているが、1970年(昭和45年)の京阪京津線・石山坂本線のパンタグラフ化時に不要となったスライダー式トロリーポールを譲受して切り替えていた。
- ^ 石本祐吉「路面電車の集電装置について」80頁。1899年(明治32年)スイスの三相交流電気機関車が大型の下枠付きビューゲルを装備している。
- ^ 枠状の物。乗馬用の鐙(あぶみ)やメガネのフレーム、医療用の矯正具等もビューゲルである。
- ^ すり板の前後方向の断面形状が角度の変位に対応するために弓(ボウ)状になっていることからこの名称がある。これに対して、パンタグラフでは通常平面状のすり板(スライダー)またはローラースライダーを用いる。
- ^ 東京都電の巣鴨車庫では架線が出入庫線を覆う屋根に取り付けてあったため該当箇所では反転不能だった。巣鴨車庫では後述のZパンタグラフを装備した車両を配備して屋根下で逆行する運用に備え、ビューゲル装備車両は屋根下を避けて反転した[12]。
- ^ アムステルダム、ウィーン、ローマ他多数の都市での使用例がある。
- ^ 吉川文夫『路面電車の技術と歩み』168頁。パンタグラフは白島線用車両に使用。
- ^ その一方で西鉄軌道線や叡山電鉄(京福電鉄時代)のように、トロリーポールからビューゲルを経ずに直接パンタグラフに換装したケースもある。
- ^ 吉川文夫『路面電車の技術と歩み』144頁。浜甲子園に停車中の205がこのYゲルを装備している。
- ^ 東京出版企画社『チンチン電車80年』102頁。京阪電鉄901(のち1947年(昭和22年)に京阪京津線20形に車体更新改造)が1937年(昭和12年)にボウコレクターを装備している。
- ^ 鉄道趣味誌や鉄道ファンの間でもこれらの略語が使われている。車体1つあたりに2基搭載されている状態を「2丁パンタ」と言い、2基とも上昇した状態を「両パン」、一方を降ろした状態を「片パン」と言う。このほか、「2丁パンタ」の車両が進行方向に対して前側のパンタグラフを使用している場合や、電車において運転台側の屋根上にパンタグラフが搭載されている場合に「前パン」という言葉が使われる(対義語は後〈うしろ〉パン)。
- ^ 石本祐吉「路面電車の集電装置について」81頁。剛体架線の上の台車から集電する。
- ^ その後、1936年(昭和11年)のベイブリッジ完成に伴い、1939年(昭和14年)よりサンフランシスコ市内のトランスベイ・ターミナルへの乗り入れを開始した。1958年(昭和33年)全廃。
- ^ 予讃線の観音寺駅以西はパンタグラフ折りたたみ高さ制限は4000mmのため、中央本線・身延線対応の同等のパンタグラフで対応可能である。鳥越トンネルの折りたたみ高さの制限が3,900mmというのは、EF65形PS22搭載車(折りたたみ高さ3,980mm)が通過している点からも誤りである。
- ^ これは吉野鉄道が電化時にBBC社から輸入した1形電気機関車に装着されていた同社製パンタグラフと酷似した構造であることが一因と見られる。
- ^ 電化開業前のED75 501、の試験や、711系の試作車には菱形パンタグラフのPS16形に耐雪ばねカバーを追加したPS16G形が使われていたが、電化開業を機にこれらもPS102系列(機関車がPS102A形、電車がPS102B形。)に統一された。
- ^ 3000系 (2代)および大津線用車両を除く。
- ^ 当初菱形を搭載して製造された6000系や7000系・7100系1次車が冷房化改造の際に下枠交差型に換装されている。
- ^ 207系、221系、223系(9000番台を除く)、281系、321系、681系、683系(4000番台を除く。改造形式の289系を含む)等が該当。国鉄型電車は菱形のままであるが、443系の検測用パンタグラフには採用されている。また、103系体質改善試作車では一時期下枠交差型を使用していた。
- ^ 総合高速検測車クヤ900形(DAX)の検測用パンタグラフには採用されている。
- ^ 関西私鉄の中ではシングルアーム形への切り替えが早く、1995年に登場した8200系以降の新造車両はすべてシングルアーム形を採用しているほか、5000系など一部のリニューアル車両でもシングルアーム形に換装されたものがある。
- ^ なお、JR西日本でのシングルアーム型パンタグラフの初採用は比較的早く、1996年登場の283系で初採用された。その後は車種によって使い分けられ、521系以降の新系列および既存系列でも683系4000番台ではすべてシングルアーム型を採用している。
- ^ a b 新幹線では、下枠交差型を採用していた300系が後に乗り心地対策と騒音対策を兼ねて全車シングルアーム式に換装された。
- ^ 近鉄シリーズ21の場合、新造当初は下枠交差型パンタグラフを装備していたが後年になってシングルアーム型に換装されるケースや、それとは逆にシングルアーム型から下枠交差型に換装されるケースが見受けられる。なお、特急形車両は21020系以降一貫してシングルアーム型を採用しているほか、シリーズ21以外の一般車でもシングルアーム型に換装された車両が存在する。
- ^ 2020年度以降の増備車は新品のシングルアームパンタグラフを装備している。
- ^ 日本と欧米では架線事故が発生した時に、架線と集電装置のどちらの保護を優先するかの違い(日本:架線優先、欧米:集電装置優先)がある事も採用を遅らせる要因となったとされている。
- ^ 名古屋市営地下鉄のうち架空線方式を採用している鶴舞線や桜通線の車両では、シングルアーム式を搭載するN3000形や6050形は当初より1両につき1基搭載であるが、シングルアーム式を搭載しない3000形・3050形・6000形は回生制動時の離線対策のため当初1両につき2基搭載していた(現在は1基搭載)。また、上飯田線で運用される車両では、当初より全車シングルアーム式を搭載しており、1両につき1基搭載である。
- ^ ただしみどり湖経由の塩嶺トンネルは標準断面のトンネルである。
- ^ JR東日本の211系は全車シングルアーム式に交換されていたため、低屋根化改造の必要なく中央本線の運用を受け持つ長野への転用が可能であった。
- ^ 特に身延線では中央線用に開発されたPS23形をもってしても低屋根化をせざるを得なかった(115系2600番台など)が、373系で導入されたシングルアームパンタグラフによって低屋根化の必要がなくなり、以降東海旅客鉄道では入線実績のない285系を含め、全ての新造在来線電車がシングルアームである。後に同社の界磁添加励磁制御の車両も全車シングルアーム式に換装された。
- ^ JR北海道では711系以来、下枠交差式が主流だったが、2000年代以降、一挙にシングルアームへの置き換えが進められた。苗穂工場の一般公開日の説明によると、711系引退イベントの一環として、2012年(平成24年)にS-110編成を塗装を含めて新製当時の姿に復元する際、列車番号表示器を再装備するなど細部にまでこだわった作業が行われたものの、本来の下枠交差形PS102Bは予備品まで廃棄されて苗穂と函館のどちらでも手配できず、集電装置は原形に戻すことができなかったとのこと。なお、静態保存機では、小樽市総合博物館のED75 501とED76 509、三笠鉄道村のED76 505はPS102Aのままである。
- ^ トロリーポール集電の場合には直線状に張られるため、ポールからパンタへの集電装置の変更に当たっては、支持金具の変更と共に、架線の吊架方法そのものも変更する必要がある。
- ^ 1980年(昭和55年)時点でも三井石炭鉱業芦別鉱業所、三井串木野鉱山、明延鉱業「白金号」の事例が見られた[28]。
- ^ 能勢電鉄1700系電車(元阪急2000系電車)、3100系電車(同3100系)も該当。なお阪急5000系電車は2度目の更新時に東洋電機製造のシングルアーム式に交換された。
- ^ 富士電機の集電装置製造部門は工進精工所へ継承され、山陽電気鉄道向けは型番も同社のPK型を使用していた。しかし、6000系では製造を東洋電機製造に改めたので、形式は同社のKP型(KP-86)となっている。
出典
- ^ 谷川 一巳・西村慶明・水野良太郎『路面電車の基礎知識』〈イカロスムック〉イカロス出版、1999年、179頁。
- ^ 『明治工業史 電気編』 1928年、388頁(復刻 原書房、1995年)。
- ^ a b 石本祐吉「路面電車の集電装置について」『鉄道ピクトリアル-臨時増刊号 』通巻第688号、2000年、82頁。
- ^ 吉川文夫『日本のトロリーバス』電気車研究会、1994年、148-151頁。
- ^ 宮本政幸『新しいトロリーバス』鉄道図書刊行会、1957年、87-91頁。
- ^ 吉川文夫『路面電車の技術と歩み』グランプリ出版、2003年、16-20頁。
- ^ 中田安治『路面電車 -消えゆく市民の足-』〈カラーブックス264〉、保育社、1977年、139-140頁。
- ^ 原口隆行『日本の路面電車I-現役路線編-』〈JTBキャンブックス〉JTB、2000年、82-83頁。
- ^ 宮田道一・関田克孝『ありし日の玉電』〈RM LIBRARY 15〉 ネコ・パブリッシング 、2000年、16頁。
- ^ 東京出版企画社『チンチン電車80年』立風書房、1979年、122-123頁。
- ^ 岡田誠一・澤内一晃『横浜市電(下)戦後の歴史とその車両』ネコ・パブリッシング、2009年、23頁。
- ^ 岩成政和「電車とともに八十余年 江本廣一氏インタビュー」『鉄道ピクトリアル-別冊 路面電車の時代-』〈アーカイブスセレクション12 〉、鉄道図書刊行会、2007年、12-13頁。
- ^ 東洋電機技報第108号2001年9月『日本におけるパンタグラフの歴史と東洋電機1-東洋電機製造』(Webページ、PDFファイルで掲載)2012年6月8日閲覧。
- ^ 湘南倶楽部『江ノ電-なつかしの電車名鑑』JTB、2003年。
- ^ 高松吉太郎『写真でつづる日本路面電車変遷史』鉄道図書刊行会、1978年、57頁。
- ^ 和久田康雄『日本の市内電車 -1895 - 1945-』成山堂書店、2009年、26頁。
- ^ 依田幸一『チンチン電車始末記 横浜を走った70年』かなしん出版、1988年、296-298頁。
- ^ 江本廣一『都電車両総覧』大正出版、1999年、106-107頁。
- ^ 東武博物館学芸課『なつかしの日光軌道』、2010年、23頁。
- ^ 谷川 一巳・西村慶明・水野良太郎『路面電車の基礎知識』84頁。
- ^ 吉川文夫・花上嘉成『静岡鉄道秋葉線 ―石松電車始末記―』〈RM LIBRARY18〉ネコ・パブリッシング、2001年、39頁。
- ^ 京福福井『はーさんの思い出の鉄道、40年前の鉄道風景』2010年5月11日更新
- ^ 飯島巌『復刻版・私鉄の車両5 阪急電鉄』ネコ・パブリッシング、2002年。126-127頁。
- ^ 清水祥史『京阪電車』JTBパブリッシング、2017年、p.61
- ^ 『鉄道ジャーナル』2008年5月号、鉄道ジャーナル社、2008年、43頁、ISSN 0288-2337。
- ^ 「オレンジバーミリオンを見守るもりのみや」『鉄道ジャーナル』通巻570号、2014年4月、鉄道ジャーナル社、p.50
- ^ 特集 長寿命化技術 > 材料 > パンタグラフすり板の摩耗を低減する(PDF) - 鉄道総合技術研究所 RRR Vol.71 No.2(2014年2月 / 2016年1月6日閲覧)
- ^ 『レールガイ別冊 知られざるナローたち』丸善出版、1981年。
トロリーポール
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/16 22:42 UTC 版)
トロリーポール(trolley pole)とは、鉄道車両やトロリーバスの屋根上に取り付けられ、架線(トロリー)に接触させて集電する装置の一種。「ポール」または「電棍」(でんこん)とも呼ばれる。本体は鉄・軽金属・ステンレス鋼等のパイプで出来ており、先端部分にはトロリーホイールと呼ばれる滑車状の車輪、またはスライダーシューと呼ばれるU字断面のすり板が取り付けられており、架線にはめ込む様に接触させる。鉱山鉄道などでは事故防止の観点から、木製のポールに絶縁材で被覆された電源ケーブルを組み合わせたものも用いられた。トロリーポールは架線に対して斜めに角度を付けてトロリーホイールやスライダーシューを接触させて使用し、架線に突っ込む方向で使用すると離線した時にトロリーポール自体もしくは架線や架線を支持する吊架線(スパンワイヤー)の損傷につながるため、なびく方向で使用するのが原則である。車両の速度が向上するにつれ、架線を外れたトロリーポールが架線や吊架線を切断する事故も増えたため、ぜんまいばねの働きで引き紐を巻き取り、トロリーポールの跳ね上がりを防ぐレトリバー(レトリーバー、トロリーキャッチャー)が考案された。 電気鉄道黎明期には幅広く使用されたが、架線に対して斜めに接触させて使用し架線の高さが変位すると架線に対するトロリーポールの接触角度も変位するので、架線との接触面に加わる圧力(架線を押し上げる力)の変動が大きい。かつ質量が大きく剛性も低い(しなる)ため、 架線追従性が悪く、架線にはめこんであるトロリーホイールやスライダーシューが架線から外れてしまう離線が起こりやすい。 一旦離線が発生すると再度乗務員により架線に着線させる操作が必要である。 走行中に離線が発生するとトロリーポールが上に跳ね上がって架線や架線の吊架線を切断する事故が起こりやすい。 分岐器通過時各トロリーポールに操作員(通常は車掌が兼務)が必要で貫通路も使用しにくい。 という問題があり、高速化、大出力化、長編成化には不向きであった。 そのため、曲線や分岐が多く連結運転が多用された日本では電気鉄道の発展に伴い1920年代以降パンタグラフへの移行が急速に進展したが、トロリーポールには、構造が単純で製造コストも低い、本体のサイズが大きく作用範囲が広いため、架線の上下左右の偏倚や張力変動に強い、架線をさほど高い精度で設置しなくても使用できるので架線の設置、及び維持コストを低廉化できる、といった理由から、その後も長きにわたり路面電車や小規模な地方私鉄用として使われ続けた。 アメリカではインターアーバンを中心にその後もトロリーポールを使用する例が多数見られた。路面電車では1929年(昭和4年)からPCCカーが開発されて1936年(昭和11年)に基本仕様が完成。以降量産して全米各地で使用され、マサチューセッツ州ボストン市を走るレッドラインのマタパン(Mattapan)支線では2012年(平成24年)現在でも使用中であり、スライダーシュー付きのトロリーポールを使用している。ペンシルベニア州フィラデルフィアのSEPTAでも、1980年代にPCCカーの代替として導入された川崎重工製軽快電車がトロリーポールを装備して登場し、使用されている。また、アメリカではサンフランシスコ市営鉄道のFライン、ウィスコンシン州ケノーシャなど、トロリーポールを装備したPCCカーのような旧型路面電車を市中で復活運行している例も複数ある。 トロリーポールには進行方向に対して1本(シングルポール)のものと2本(ダブルポール)のものがある。戦前の日本では、大都市の路面電車を中心に、線路からの帰電が漏電して地下埋設した水道用の鉄管を腐食(電食)させる事例があり、これを防ぐために架線に帰電する方式としたため、2本となった。その後、水道管の材質が電気の影響の少ない鉛等に変更されたため、戦後はすべて1本に変更されている。トロリーバスでは構造上地面への帰電が不可能であり、架線に帰電するためすべて2本となっている。 小型の車両では、屋根の中央に取り付けられ、進行方向が変わる場合は乗務員が引き紐で旋回させていた。日本ではこの作業はポール回しと呼ばれる。その後車両の大型化に伴い、進行方向ごとに1対を備えるようになり、2本ポールの場合は合計4本となる。この場合、常に後ろ側を使用し、終端部で乗務員が上げ下ろしを行っていた。ポールを上げるには組み込まれたばねの復元力を利用するが、架線への追従性を確保するためにビューゲルやパンタグラフと比較して押し上げる力が強力で、かつ架線にピンポイントで正確にトロリーホイールやスライダーシューをはめ込む必要があってトロリーコード(引き紐)を操り操作するには熟練が必要であった。また、分岐、転線の際は、本線側の架線から分岐側の架線への架け替えが必要となるため、乗務員は天候にかかわらず身を乗り出してポール操作を行わなくてはならず、大きな負担になった。分岐部でトロリーポールを下げて付け替える手間を軽減するために、軌道側の分岐器よりも進行方向やや奥側に架線の分岐部を設置し、走行中にトロリーコードを分岐側に軽く引くだけでトロリーポールの転線が完了する様に改良されたが、離線も発生しやすいので従来の付け替え作業を行うタイプと併用されていた。 トロリーバスは道路状況によっては架線の直下を大きく外れて走る必要があるが、U字断面で水平・垂直方向に可動式のスライダーシューを装着して架線追従性を高める改良がされたトロリーポールはこの使用状況に向いており、2012年(平成24年)現在もトロリーポールが使われている。スライダー式はトロリーバス用として開発されたが、架線への追従性に優れていたため鉄道でも高速運転を行う路線を中心にホイール式から変更された例がある。 トロリーバスの場合は進行方向が一方のため、終端部には転回線が設けられており、途中の分岐が少ない。トロリーポールの上げ下ろしは(1)数少ない分岐(2)入出庫時(3)電化区間の鉄道線の踏切をわたる場合(4)離線や車両故障時等で、路面電車より頻度を低くして表定速度の向上による高速化を狙っている。トロリーポール自体も当初は路面電車用と同様の構造だったが、高速化に対応し、また離線時の架線や吊架線の切断事故防止のために、後年はほとんどのケースでレトリバー(トロリーキャッチャー)を取り付けた。 手動で操作する架線分岐器が開発され、車庫構内や停留所など停車して操作可能な場所で使用された。自動化した架線分岐機構も開発され、世界各国のトロリーバスで使用されたが、構造が複雑なことと、後述するビューゲルやパンタグラフの普及により、手動式・自動式ともに鉄道や路面電車では一般化しなかった。 電気鉄道の黎明期にはさまざまな試行錯誤が行われ、トロリーポールもその起源の完全な特定には今後の研究が待たれるが、1888年(明治21年)にアメリカのダービーホース鉄道(DERBY HORSE RAILWAY)でヴァン・デポール(Van Depoele)の電気品を使用した電気機関車がトロリーポールを用いている。また同年、アメリカのリッチモンドユニオンパッセンジャー鉄道(Richmond Union Passennger Railway)がフランク・スプレイグ(Frank Julian Sprague)考案の電気鉄道システムを採用して開通、やはりトロリーポールを使用している。日本の営業用鉄道におけるトロリーポールの使用は、1895年(明治28年)2月1日の京都電気鉄道(1918年(大正7年)に京都市電/京都市交通局により買収)を持ってその嚆矢とする(1890年(明治23年)5月4日から東京・上野公園でトロリーポールを使用した『東京電燈スプレーグ式電車』(鉄軌道の分野ではスプレーグと表記する事がある)が走っているが、内国勧業博覧会開催期間中の限定運行でありサンプル的存在)。ホイール式は1975年(昭和50年)12月の京福電気鉄道嵐山本線・北野線、スライダー式は1978年(昭和53年)10月の京福電気鉄道叡山平坦線・鞍馬線(現・叡山電鉄叡山本線・鞍馬線)を最後に旅客用鉄道で使用する路線はなくなり、現在は乗客を乗せる車両では明治村等の保存用鉄道でのみ用いられている。一方、トロリーバス向けスライダー式は、日本に唯一現存するトロリーバス路線で立山黒部アルペンルート内に含まれる立山黒部貫光立山トンネルトロリーバスのみで使用されている。 トロリーポール搭載車両の例 アメリカ合衆国ヤキマバレーインタアーバンの297号電気機関車 ダブルポールを使用する東京市電(1905年) 木製ポールを使用した電気機関車(イリノイ州の鉱山内、1939年)
※この「トロリーポール」の解説は、「集電装置」の解説の一部です。
「トロリーポール」を含む「集電装置」の記事については、「集電装置」の概要を参照ください。
- トロリーポールのページへのリンク