国鉄70系電車とは? わかりやすく解説

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国鉄70系電車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/18 16:32 UTC 版)

国鉄70系電車(こくてつ70けいでんしゃ)は、1951年から1958年にかけて、日本国有鉄道が導入した、3扉セミクロスシート旧形電車を便宜的に総称したものである[注釈 1]


注釈

  1. ^ 」「系列」という概念は、1964年制定の車両管理規程(総裁達178号)に基づき定められた車両称号基準規程により生じたものであるが、本項では便宜上の総称として「70系」もしくは「本系列」と表記する。
  2. ^ 1897年11月以降一等・二等・三等の三等級制であった等級は1960年6月1日に一等、二等車が一等車に統合され、三等車が二等車となり、その後1969年5月10日には一等車がグリーン車、二等車が普通車となった。
  3. ^ Dは客用扉、dは乗務員扉、数字は窓の数をそれぞれ表す。
  4. ^ 80系の台枠は、1949年から実施された更新修繕の際に曲げ剛性・捩り剛性を増加させる改造を実施している(『80系・70系電車のあゆみ』 p.40)。
  5. ^ a b c 『80系・70系電車のあゆみ』では、80系では1954年度製造分からMT40Bに変更したが、本系列はMT40Aのままであったとしている(『80系・70系電車のあゆみ』 p.20, 32-33)。
  6. ^ MT30は(端子電圧675 V時1時間定格出力128 kW、定格回転数780 rpm(全界磁時)・1005 rpm(60 %界磁時))で、端子電圧差を考慮すると性能はMT40と同等であるが、冷却機構の強化などで信頼性が向上していた(戦前は、送電ロスによる電圧降下を見込んで架線電圧を1350V、端子電圧を675Vとしていたが、戦後は送出し電圧を降下分を見込んで最大1650V程度とし、パンタ点での架線電圧が1500Vとなるように変更された)。
  7. ^ a b c 『80系・70系電車のあゆみ』では、80系の1952年以降に製造した車両ではCS10Aに変更されているが、本系列はCS10のみを搭載したとしている(『80系・70系電車のあゆみ』 p.16-19, 32-33)。
  8. ^ 1945年より研究が開始され、1948年より東洋電機製造CS100A(直列6段・並列5段・短絡渡り・逆回転)、日立製作所CS101(直列6段・並列5段・短絡渡り・一方向回転)・CS102(直列7段・並列6段・橋絡渡り・一方向回転)・川崎重工業CS103(直列6段・並列5段・短絡渡・一方向回転)の3社4種制御器を試作して約3年間運用試験を実施し、その結果を反映して制式化設計を実施した。
  9. ^ 弱め界磁起動機能は1949年の80系1次車用CS5Aでも採用。
  10. ^ 鉄道省の標準的な客車用自動ブレーキ弁として、日本エヤーブレーキ(現・ナブテスコ)がWH社製U自在弁の利点を取り入れて1928年に開発したもので、後に電車・気動車にも採用された。
  11. ^ 41系のモハ41形・サハ57形を使用して、1938年にARE式、AE式およびARE式とAE式の併結の4両3編成で、翌1939年にARE式およびARE式とAE式の併結の4両2編成でそれぞれ東海道本線で現車試験が行われ、その後も継続して試用された(『80系・70系電車のあゆみ』 p.15)。
  12. ^ 『80系・70系電車のあゆみ』 では、東京配置の車両と大阪配置の車両でのジャンパ連結器の差異の理由は不明であるとしている(『80系・70系電車のあゆみ』 p.30)。
  13. ^ 80系は東海道本線全線電化後に湘南色に統一されたが、後にサロ85形やサハ87形など中間車の一部が他系列に編入された際にスカ色や新潟色に変更された。
  14. ^ 昭和38年9月13日付読売新聞新潟読売Bによると『冬の暗さをふっとばし、雪の中でもはっきり電車の動きがわかって交通安全にも一役とと苦心して考案』とある。しかし新緑の風景や越後平野水田地帯にも良く目立つ塗色であったことからローカルカラーとして定着した[要出典]
  15. ^ 2・3等合造車のクロハ75形が計画されていたという説もある[要出典]
  16. ^ 国鉄の電車の前位・後位の定め方(『車両各部分の位置の称呼規程』(総裁達第319号))のうち、本系列に係るものは「イ 運転室(回送用運転装置付のものを除く。)のある場合は、運転室側。ロ 運転室のない場合は、車内において車端に向い、制御回路の引通しが左側となるときの前方。」であり、クハ76形は運転室側が前位、その他の形式は例えば横須賀線では上り(東京)側が前位となる。
  17. ^ 『80系・70系電車のあゆみ』 p.33では1951年度(1951年度予算)車から変更されたとされている(『80系・70系電車のあゆみ』 p.33)。
  18. ^ a b 床板の鋼板化は『80系・70系電車のあゆみ』 p.37では1955年度(1955年度1次予算)車から、『旧型国電ガイド70系 Part3』 p.121では1956年度(1956年度予算)車から実施されたとされている。
  19. ^ 後年の新性能電車と異なり着座して運転する方式。[要出典]
  20. ^ 後に同様な理由で103系モハ102形が-899の続番が2001に飛ぶケースや205系では国鉄時代製造車両とJR化後製造車両と編成単位でのナンバリング等が異なるケースが発生している。
  21. ^ この時点ではパンタグラフ部分のみを低くするという発想はまだ存在しなかった。[要出典]
  22. ^ 鉄道省デハ33500形デハ33513 → モハ1060 → 南武鉄道モハ400形モハ401 → 鶴見臨港鉄道モハ400形モハ401 → モハ310形モハ313。
  23. ^ 『80系・70系電車のあゆみ』 p.33ではUF133のままとされている(『80系・70系電車のあゆみ』 p.33)。
  24. ^ 製造初年の1951年当時は(クハ76形を除く)70台の番号がサハ75形(初代)付随車(50系)、クハ77形(初代)制御車(62系)、サハ78形付随車、クハ79形制御車(以上63系→72系)で埋まっていたため、戦前に32・42・52系のサロハ46形が全てサロハ66形またはクロハ59形に改造されて空きとなっていた46形を使用した。
  25. ^ 当時はまだ化学繊維が珍しく、鉄道車両における活用も黎明期であったことから、目新しさを強調することを目的に採用したことがうかがえる[要出典]
  26. ^ 「75」の空き番号は1953年6月1日実施の車両称号規程改正におけるサハ75形(初代)のサハ17形300番台への改番時点で発生した。
  27. ^ 『旧型国電ガイド70系』ではモハ70065を日本車輌製造支店製造としている(『旧型国電ガイド70系 Part1』 p.127)。
  28. ^ 元1等車の3扉化改造は80系のサロ85形を格下げしたサハ85形100番台においても実施されている。
  29. ^ 1950年8月の身延線島尻トンネル内での事故の状況から、同線用車両のパンタグラフ折畳高さが3980 mmとされ、以降低屋根車はこれに適合することとされた。(『80系・70系電車のあゆみ』 p.36
  30. ^ サハ48形を中間車として組成する場合は「広窓流電・半流43系」同士で連結するなど編成美を考慮する一方で、43系とでは屋根高さが本系列が100mm低いことから高低差が目立った[要出典]
  31. ^ 本系列のほか、クモハ43形・クモハ53形・サロ45形・サハ48形ほかと荷物車・救援車・職用車。(『旧型国電ガイド70系 Part6』 p.126
  32. ^ 1960年に横須賀線から中央東線のモハ71形へ転用・改造した4両の代替分を含む。
  33. ^ 参考文献『輸送力増強期の横須賀線』 p.44には1963年12月と1964年2月と両方の記載がなされている。
  34. ^ 当初は湘南電車と共通運用のために湘南色の車両がスカ色の「横須賀線」表示を前頭部に掲出しており、その後運用を分離してスカ色の113系を投入した
  35. ^ 急電色に塗装変更したため誤乗車に関する苦情は減ったが、今度は洗面所がないことの苦情が発生したとも言われる。[要出典]
  36. ^ 1957年に急電は快速に変更。
  37. ^ スカ色の塗分けで前面に急電のヘッドマークを装着していることから混乱は少なかったが、大阪駅では同じホームから発車する福知山線の利用客から同線で運用されている、スカ色と類似塗装であったキハ45000系気動車と誤乗した苦情があった。[要出典]
  38. ^ 編成中に72系を組込んだのは、歯車比が同一なことと72系だけの編成組成ではトイレがないために中長距離運用に支障を来たすため[要出典]である。
  39. ^ 南海が、当時他の戦時買収私鉄各社(鶴見臨港鉄道青梅電気鉄道など)とともに進めていた戦時買収線の復帰・払い下げ運動や、阪和電気鉄道の旧経営陣が進めていた阪和電鉄の再興運動に、南海本線と比較して目に見えて復興の進まない阪和線に対して苛立ちを覚えた利用者や沿線住民の一部が同調し、大きな動きに発展する勢いがあった。一方で、南海11001系と同様のカルダン駆動転換クロスシート2扉車の導入も検討されたが、カルダン駆動が技術開発の途上であり、転換クロスシートは当時の普通二等車の主力であるオロ35形やオロ41形と同レベルで、二等車と三等車の格差がなくなるという点から投入が困難であった(オロ35形が当時の紀勢西線直通の準急列車くまの」に使用されていた)。
  40. ^ 戦時買収私鉄に新製車が投入されることは稀で、4連化されたことによる座席数増加・「流電・半流43系」より快適なクロスシート[要出典]・明るい阪和色とあいまって利用者から好評をもって迎えられた[要出典]
  41. ^ 阪和線の旧形電車は、阪和形電車が旧形国電では最も出力の高い、端子電圧750V時定格出力149kWのMT900(東洋電機製造TDK-529A)を搭載し、40系の電動車は高出力主電動機(MT30・40)装備のクモハ60・61形であり、51系の51073や72系も同じ主電動機を装備していた。本系列の予備車が不足した場合はこれらの車両を組込んだことがあるほか、後年の6両化の進展に伴って各形式の混成編成がしばしば見られた。なお、本系列300番台だけで組成された4両編成は阪和線だけに見られた。
  42. ^ 基本編成には1等車改造のサハ75形・サハ85形が組込まれていたが、これらの車両に等級帯がなく後に3扉化されたとはいえ横須賀線全盛期の雰囲気を漂わせていた[要出典]
  43. ^ この過程でクハ68形は全車転出。
  44. ^ 一部は「房総夏ダイヤ」の臨時快速「富津岬」として千葉鉄道管理局へ貸出した後に転入した。
  45. ^ 電化前はC59形C62形といった蒸気機関車が10両近くのスハ32系オハ35系を牽引していた。
  46. ^ 当初予定していた中部地方の山岳電化路線では最終的な条件が合致せず投入線区が二転三転していた。

出典

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  2. ^ 『70系電車誕生の頃とその終焉』 p.22
  3. ^ a b 『横須賀線電車のスターたち』p.36
  4. ^ a b 『80系・70系電車のあゆみ』 p.30
  5. ^ 東洋電機製造『東洋電機製造100年史』 2018年 p.29
  6. ^ 『80系・70系電車のあゆみ』 p.14
  7. ^ a b c 『80系・70系電車のあゆみ』 p.20
  8. ^ 『80系・70系電車のあゆみ』 p.22
  9. ^ 鉄道史料保存会『国鉄電車詳細図集 -鉄道院/鉄道省時代-』 p.174-175, 182-183, 186-187
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  23. ^ 『旧型国電ガイド70系 Part3』 p.120
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  26. ^ 新しい鉄道力  日映科学映画製作所1957年製作 NPO法人科学映像館
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  28. ^ a b 『80系・70系電車を楽しむ』 p.57
  29. ^ 『旧型国電ガイド70系 Part4』 p.101
  30. ^ 『80系・70系電車のあゆみ』 p.33-34
  31. ^ 『80系・70系電車 車歴集』 p.154
  32. ^ 『旧型国電ガイド70系 Part3』 p.123
  33. ^ a b 『旧型国電ガイド70系 Part2』 p.104
  34. ^ a b 『80系・70系電車 形式集』p.137
  35. ^ 『旧型国電ガイド70系 Part2』 p.107
  36. ^ 『80系・70系電車のあゆみ』 p.30, 31, 37
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  40. ^ a b 『旧型国電ガイド70系 Part2』 p.102-107
  41. ^ a b 『旧型国電ガイド70系 Part3』 p.118-123
  42. ^ a b c 『80系・70系電車 車歴集』 p.156
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  44. ^ 『80系・70系電車のあゆみ』 p.33, 44, 135
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  47. ^ a b c d 『80系・70系電車のあゆみ』 p.40
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  80. ^ a b 『旧型国電ガイド70系 Part8』 p.121
  81. ^ a b ジェー・アール・アール『国鉄電車編成表 '78年版』ジェー・アール・アール 1978年 p.20
  82. ^ 新しい鉄道力  日映科学映画製作所1957年製作


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