国鉄52系電車とは? わかりやすく解説

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国鉄52系電車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/19 17:11 UTC 版)

52系電車(52けいでんしゃ)は、1936年(昭和11年)から1937年(昭和12年)にかけて、鉄道省が京阪神地区固有の急行電車に使用することを目的に製造した複数車種・形式の旧性能電車を便宜的に総称したものである。


注釈

  1. ^ 当時の国鉄電車の連結面は切妻であるが、車端部で屋根が下がっていた。
  2. ^ 従来5月、6月の諸説あったが、13日であることが判明[2]
  3. ^ 三等車の戸袋は700mm、扉間は600mmで二等室は700mmを2個セットに配置した。
  4. ^ これは廃車後、吹田工場で竣工当初の構造に復元保存された52001で確認できる。
  5. ^ 鷹取工場における新塗装直前の同車の写真の色調よりやや黄色味の強い色調(和がらし色)と判断される。
  6. ^ 他車は客扉上部にのみ水切りが設置されていた。
  7. ^ 1947年(昭和22年)4月15日に撮影された川崎車輛構内の写真に、荒廃した同車の車体が記録されており、この時点までは廃車体が残存していたことが判る。
  8. ^ 台車だけが当時製造中だったモハ63形に流用された。
  9. ^ 端子電圧675V時定格出力128kW。モハ60形用として開発されたMT15系の延長線上に位置する(運転曲線が極力MT15系と一致するように設計されている)大出力電動機で、実際には出力は端子電圧750V換算で142kWとなり、自重の相違から阪和社形のTDK-529A(端子電圧750V時定格出力149kW)並の走行性能が得られることになる。
  10. ^ ただし、第2次型のモハ52も阪和線時代にMT30に換装し歯数比2.56に改造されたと思われるが資料的に定かでない、とされる[7]
  11. ^ 52005は「飯田線快速色」から「湘南色」への変更時に指示の手違いから旧来の塗り分け線を踏襲して出場。一ヶ月ほどで正規の塗り分け線に変更された。52004は横須賀色へ再度変更される際に当初前面中央部までクリーム色にされていた。
  12. ^ ただしダミーで機能しない。
  13. ^ 2012年までは、座席に着席も可能であったが、翌年以降老朽化を理由に取り止められている。また時期は不詳だが、プレスドアのHゴムが黒に変わっている。2019年の一般公開では車内に入ることはできなくなった。

出典

  1. ^ 沢柳健一『旧型国電50年 I』JTB、2002年、101頁
  2. ^ 『朝日新聞』大阪版1936年5月12日の記事
  3. ^ a b c d 『関西国電50年』、pp.34-36
  4. ^ 『関西国電50年』、p.60
  5. ^ 宮沢孝一「流電モハ52撮影奮闘記」(「鉄道ファン」1979年2月号 No.214)
  6. ^ 『鉄道ピクトリアル』No.317 17頁。
  7. ^ 久保敏「流電の誕生とその生涯」20頁以下による。
  8. ^ 交友社鉄道ファン』1996年12月号 通巻428号 p.116






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