国鉄30系電車
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国鉄30系電車(こくてつ30けいでんしゃ)は、1926年(大正15年)から1928年(昭和3年)にかけて日本国有鉄道の前身である鉄道省が製造した、車体長17m級3扉ロングシートの旧形電車を便宜的に総称したもので、鉄道省が製造した最初の鋼製電車である。
- ^ モハ10形用としては最多となる90両分以上が納入されている。また、同形式の鋼製化改造時に主電動機の標準化を目的としてMT15Bへの振り替えを実施した際にも、不足分はこのMT7で補われ、それ以外は淘汰されている。
- ^ これらを含む、鉄道省の戦前型電車・電気機関車の主電動機定格出力は、架線電圧降下を見込んで規定の1500Vよりも1割減の1350V状態を基準に設定されていた。仮に端子電圧675Vで定格出力100kWのモーター搭載車に、架線電圧が1500Vを保って十分に供給されている場合、端子電圧は750Vとなり、冷却機構が十分な性能を備えていた場合、1基あたりの1時間定格出力は約111kWとなる。これはMT7を始めとするモハ10形用主電動機、そして後継機種であるMT15系主電動機にも共通する数値で、17m級電車の主電動機としては1920年代中期の日本で最強レベルであり、将来性を見据えた賢明な出力設定であった。後に鉄道省の電車大型化(20m車の採用)に際し、関西私鉄各社の150 - 170kW級主電動機には及ばずとも、出力面での大きな不足を来さずに済んだ背景に、この余裕を持った実用出力の設定が挙げられる。
- ^ 厳密には、MT15を基本としながらその磁気回路に手を加えて高回転仕様とした、モハ52・モハ43半流型用のMT16(1936年)がMT15系最後の新設計モデルである。以後は全面的に設計を改めて、定格出力を一気に28%アップとした、MT30(1937年)へ移行した。
- ^ 図面番号EC0365・0366として1926年3月6日付の計画図が現存する。
- ^ 本車を含む戦前型国電は、1両あたり1個の床下装荷ブレーキシリンダからロッド連動によって前後双方の台車を制動する構造で、空気ブレーキの制御・配管方式こそ異なる点もあるが、ブレーキシリンダから先の機械的連結部分の取り回しは京福電鉄事故車と同様、ロッド破断によって作動しなくなるリスクがあった。これでも2両以上の併結運転であれば、緊急時でも別の車両の非常ブレーキが作動するためフェールセーフ性が確保できるが、既に同型車が事実上消滅していたクモハ12041のイベント運行は単行運転が前提であり、また製造後70年以上を経過した電車に対するブレーキ多重系統化は、大幅な改造を要するため困難であった。
- ^ それ以前は、東海旅客鉄道伊那松島運輸区(長野県上伊那郡箕輪町で保管)
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